大学授業料無償化は必要か|利点と将来性

2021年10月16日土曜日

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大学授業料無償化の必要性

■授業料無償化の賛否

現政府の掲げる政策「人づくり革命」の中に大学の授業料無償化というものがある。

大学の無償化に対する批判の中から一つ取り上げ、無償化に賛成の立場をとって論じていきたい。

その批判とは「税金はやる気のある人間に使うべきである、やる気のない人間に使っても無駄になるだけだ」というものである。
 
なぜこういう批判が出るかといえば、その本意は主に貧困家庭で修学意欲のある人とない人を比べ、修学意欲が本物であれば貧困であっても大学に行くし、貸与型奨学金を使ってでも学費を賄おうとすると考えているからだと思われる。金銭問題を乗り越える人こそ優秀であり、税金を使うべきだという理論であろう。

大学無償化、これは税金が投入されることによって実現される。よって、この批判はもっともである。。

幼時から大学まで対象にするとおよそ5兆円。これは国家税収の約1割ということである。
「税?保険?国債? 教育無償化、財源は 幼児~大学で年5兆円」(『東京新聞TOKYO Web』2017年9月13日

私も大学に入りたいと思いながら経済的な問題で大分引き延ばされたと感じているし、入ってからも同類の心配は尽きない。犠牲を払う者こそ、その価値を知っているというものだ。

私自身もしばらく貴重な税金は、本当に大学で学びたい人のために使うべきものだと考えていた。

しかし二つの事実を知ってからその考えを改めた。

■授業料無償化の利点

一つは、社会保障制度に対する個人の理解度である。問題は、この制度を知っている人や制度を受けるための手続きに熱心な人しか恩恵を受けられないということである。
 
もう一つは、貧困の連鎖に関するもので、低所得家庭の学歴が総じて低いというものである。大学の学費は高額である。そうすると低所得家庭では大学進学は念頭に置かれない。また、大学の4年間はどうしても収入が減ってしまうので、それだけで生活できなくなる現実的不安を突き付けられる。例え奨学生になってアルバイトをしたとしてもフルタイムで働く稼ぎには劣ってしまう。低所得者にとって大学は、行きたいのに行けないものではない。行こうとも思わないものなのだ。

大学進学が全く念頭にないという感覚を理解できるだろうか。そういう人達のことを考えたことがあるだろうか。このような人たちは自ら声を上げて大学に行きやすくしろと訴えることもなく、学歴格差にも無感覚のまま、日々の糧を得るために汗を流して働いている。

ここで大学に行く価値はあるのか、大学へ行かなくても起業し大成した、世渡り上手で出世した、恵まれなくても幸せな家庭を築いた、と大学進学自体を卑下する議論も起ころうが、個人的な要素もしくは例外的要素が多く含まれるので深くは触れない。

また大学に通いながら、いくつものアルバイトを掛け持ちして、両親兄弟の家計を支えながら大学を卒業したという熱弁も沸くだろうが、それも個人的な能力の部分が大きいと思われる。ただ賛辞を贈るのみである。

こういった少数派の成功体験が、大衆への激励となって社会を改革に導けるのであれば大いに結構であるが、多くの場合、ヒロイズムやカリスマ性に収束され、かえって議論と哲学を殺す材料にされてしまうのが残念である。

既にある社会保障制度と貧困の連鎖、この二つの事実から導き出される答えとは何か。それは大きく言って国力の低下である。その中で一つ、ある意味で自立心の強い人を排除してしまうという事が懸念される。

国の制度に頼る人を責めるつもりはない。それは真っ当な権利である。頼らない人は分別がないとの意見もあろう。しかし、生活保護を受けずに、生活保護受給者以下の収入で生活する、いわゆるワーキングプアに該当する人たちの人格には一目置くところがあるのもまた事実である。自分の生活の糧は自分で手に入れたい。忘れてはならない心である。そういう性格的な理由で、学歴に差ができてもいいのだろうか。忍耐強いと同時に控えめといわれる日本人らしい日本人のためにも日本の税金は使われるべきではないか。

■無償化がもたらす将来性

今日、日本の識字率の高さが、義務教育の賜物であることは間違いない。
 
私たちが文字を読む時、学校での学習を思い図るだろうか。学校の門など、無意識にくぐり、無意識に出てくればよい。私たちは教科書を読んだし、また外で書籍を読めるのだ。無意識に学べば、意識的に学ぶことが別に見つかる。

私たち日本人は文字が読めるようになった。果たしてそれで日本の教育に満足していいのだろうか。
 
国民全体の基準が上がったのであれば、それに合わせて制度を改革すべきである。

「この貧しい青年は優秀だ」、「この貧しい青年は怠惰だ」、「私は貧しいのに自分で学費を稼いだ。不公平だ」と、過去現在未来にあって貧困同士の修学意欲を戦わせて何の意味があるか。格差を是正することも、現実的には難しいだろう。しかし、底辺の底上げは可能である。

だから義務教育とまではいかないが、小中学の教育がある程度国民に浸透している段階で、高校・専門学校・大学・短大にもっと行きやすくなる改革は必要であると思うのだ。識字率の次は、読解力、応用力そして実現である。私たち国民を支える未来の科学技術、医療技術、国際的価値観の発展につながり、日本が平和的貢献によって世界に羽ばたく力になると考える。
 
これが私が大学無償化に賛成する理由である。
 
注意しなければならないのは、教育無償化が政治活動の、国民の票を集めるための道具に使われてはならないということだ。国民の真の繁栄を哲学として持つ政治家こそが、これを推進することを願う。

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