「猶予の時」と「待たざる者」|高齢者福祉・障害者福祉の発展は犯罪への抑止力

2021年10月13日水曜日

★Ablock 社会

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自分たちが平和を享受するためには、誰の不幸からも目を背けてはならない

■自分と高齢者・障害者との距離感

僕は高齢者が苦手であった。

介護施設でのボランティアで、一緒に歌を歌ったり、手拍子を打つことは簡単だ。しかし、会話が難しい。いつもの調子で話しても聞き取ってくれない。ずば抜けて正直だから、時々チクッとすることを言ってきたりする。

障害者を前に、戸惑うこともある。嫌悪感など丸でない。しかし、彼らがどの程度助けが必要で、何をするとお節介なのか、考えていると行動できない。

僕は自分の人生を振り返ってみた。父方の祖父母は僕の生まれる前と幼い時に亡くなり、思い出と言えるものがない。母方の祖母は長生きだった。しかしお盆に数日会う程度だった。(いや。それは言い訳かもしれない。もっと心を開くべきだった。僕が生まれたとき、喜んでくれたというのに)

障害者は身近にいた。しかし、皆それぞれ負っているものは違う。

僕達は知らないものに不安を感じる。防衛本能が作用するのだ。

しかし、僕達が本当に知らないものとは何か。それは、僕達自身、人間そのものではないか。

僕達が一人でも社会と言う枠の中から誰かを排除するとき、人間について知る手がかりは失われる。

日本社会はノーマライゼーションという理念がまだ途上段階にある。

■犯罪の抑止をもたらす人間同士の関わり合い

東北福祉大学の平野光洋助教授は「ノーマライゼーション(Normalization)」とは、障害者(広くは社会的マイノリティも含む)が一般市民と同様の普通(ノーマル)の生活・権利などが保障されるように環境整備を目指す理念」であると言っている。<https://www.tfu.ac.jp/tushin/with/200803/01/03.html>(2017/10/24)

高齢者は介護施設へ、障害者は障害者施設へ、そのような政策のままではいずれ、人間の共通性というものが見失われ、人間同士の中で疑心暗鬼が生まれることになる。

高齢者福祉・障害者福祉は、この社会に人間について考える猶予を与えている。人間とは何なのかを、健常者と呼ばれる人も含めて認知する必要がある。しかし期間は永遠ではない。

騒々しく迫ってくるものがある。犯罪は待たざる者なのだ。人から目を背け、知ろうとしなかった社会全体への罰(責任)なのだ。被害者がいるということは、加害者もいる。それなのに僕達はそれさえも、隔離しようとしている。

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