メンタリストDaiGoと物乞いの達人わらしべ長者

2021年10月9日土曜日

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資本主義社会で価値のあるお金以外のもの

1.松丸亮吾とホームレス差別メンタリストDaiGoとの関わり

2.メンタリストDaiGoが本当に言いたかったこと

3.資本主義に翻弄されたメンタリストDaiGo

4.メンタリストDaiGoと本当に頭がいい人の経営戦略

5.メンタリストDaiGoと物乞いの達人わらしべ長者◄現在のページ

6.自分が許せるものと社会に許されないもの

5.ホームレスの人以外みんな物乞い

ちょっと極端なことを言います。

わらしべ長者というお話をご存じでしょうか?

貧しい男が藁(わら)から始めて、だんだんとより価値あるものに交換して最後には大金持ちになり、裕福な暮らしをするようになるというものです。


最初、男はわらにアブをつけるのですが、それを通りすがりの子どもが欲しがるのであげたところ、その子の母親からみかんをもらいます。

次にのどの乾いた人とみかんと絹の布を交換します。

次はお侍さんと元気のない馬を交換。

そして旅のために馬を欲しがった屋敷の主から屋敷を預かったものの、その主は消息不明。

結果、男はその屋敷の主となりお金持ちになります。


このお話の教訓は、モノの価値は、人によって変わるということです。

そして時と場合によっても大分変わってくるということです。


皆さんもコンビニ弁当、バッグ、車、それぞれ高いと思いながらも一応は納得してお金を払っていると思います。

そしてその購買意欲はモノそのものの価値だけではなく、おなかがすいた、デートに行く、家族が増えたなど時期によって左右されると思いますし、おいしかったという評判、営業マンの口のうまさに納得している部分もあるでしょう。

ともすれば私たちはモノに対してのみお金を払っているのではなく、人のパフォーマンスや巡り合った偶然というときめきにもお金を払っていることになります。

お金を測る

人の笑顔や涙や手振り身振りにお金を払っていることになりますし、タイミングやテンポにお金を払っていることになります。

それは自分の手に残らない、そして二度と再現されない、歌やダンス、楽器の演奏にお金を払っていることでもありますし、自己啓発セミナーの講師や教授、政治家、弁護士にお金を払うことでもあります。

そのお金で住みたいところに住み、着たいものを着、食べたいものを食べるのです。


昔の日本では"お乞食さん"と呼ばれた人がお椀をもって家々を回り、その日の分の食べ物をもらって生活の糧としていました。

それを断らないことが地域の人々の習慣でもありました。(このような立場の人があり続ける世の中をよしとしているわけではありません)


どんな人もわらしべ長者にモノを乞うた物乞いであるといえるのではないでしょうか。

そしてわらしべ長者本人も最初、観音様にお願いしてわらを手にしたのです。

この世で一番の富豪は、この世で一番の物乞いなのかもしれません。

DaiGo氏もそうです。

もしこの世の中に物乞いでない人がいるとすれば、それは社会とのつながりを完全に切ったホームレスの人だけでしょう。


いえ、これは私が自分の言いたいことを短く表現するために使った誇張された表現です。

ホームレスにも様々な場合があります。

ほとんどのホームレスの人は社会とのつながりを完全に切ってはいません。

仲間がいるホームレスの人もいますし、働いているホームレスの人もいます。

年金や退職金で暮らすホームレスの人もいます。

ネットカフェで寝泊まりする人々もホームレスに分類されます。

ですからこの世の中に物乞いでない人は誰もいないといえます。

世の中の物乞いに疲れた人たちがホームレスになってしまうのかもしれません。


私たちはこの資本主義の社会にあって、お金だけに価値があると思いがちです。

お金で買えないものは価値がないと思い込んでいます。

しかし、お金は価値あるものの一部にすぎません。


DaiGo氏の本や語りに価値を見出す人にそれは価値がないといえないように、他の人にも価値がないということはできません。

第6章.自分が許せるものと社会に許されないもの

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