やんちゃで臆病な新入り猫が、小説家と呼ばれるようになるまで
「吾輩は猫である」
夏目漱石の代表作である小説名であり名台詞である。
猫は猫でもそんな自己紹介をできる程、彼にはまだ貫禄がない。
猫の世界にも序列関係は存在する。あまり調子に乗っていると先輩のトラ猫にまた怒られてしまう。
去年、10月に我が家に来たこの黒猫はアルトと名付けられた。
まだ生後1ヶ月であった。
最初は子ネコらしい無邪気で何にでも興味を示し、走り回っていたこの黒猫を、最近我が家では小説家と呼んでいる。
その経緯はこうだ。
お気に入りは、鳥の羽であった。
これが見えると部屋の端っこからでも猛烈な勢いで飛びついた。
外に出したことがないから本物の鳥を見たことがないのに不思議なものである。
猫じゃらしを模したもの、ネズミを模したもの、羽ほどではないがずいぶん楽しそうに遊んだ。
一日中遊んでいた。
猫トイレの掃除をしていると、肩に乗って砂をかき上げるスコップを覗き込んだ。
パンでもご飯でも、クッキーでも匂いを嗅いで食べてみる。
きっと幼い頃に食べ始めたものはずっと食べられるのだろう。
お腹を壊してはいけないから気をつけなければならない。
恐れより興味のほうが上回っているからこんなに行動力があるのだ。
と、この猫から教わった。
好奇心のおかげで、きっと何にでも挑戦できるし、どこまでだって行ける。
この好奇心は、もっとも動物らしいと言える防衛本能さえも凌駕してしまう。
その代り、死と隣り合わせにある。
命の危険がある。
水回りとか、家具の隙間とか、薬品とか、注意が必要だ。
人も猫も大人と子どもの在り方は似ている。
この好奇心と防衛本能の釣り合いを利用して、我が家は彼の行動範囲をコントロールする試みを行った。
きっとこの好奇心は彼を外の広い世界に誘い出すだろう。
縄張りだとか、匂いだとか、大人の猫はそういうものに影を見る。
未知には得体の知れない怪物が潜んでいるかもしれない。
しかし、幼い彼は動くものを追いかける。
彼にとって見たことのない世界も、知らない匂いもすべては、キラキラと輝くエンポリアムなのだ。
風に揺れる緑の若葉が手招きし、蜂と小鳥が、楽しくて美味しい、と歌う。
だから我が家は、狭い我が家の二部屋に、幼い間の彼を閉じ込めた。
そこでたくさん遊んでやり、美味しいものを食べさせた。
彼にとってこの数ヶ月は満足であっただろうと思う。
他に何も知らないからだ。
日は経ち、まだ体の小さい彼ではあるが、だいぶ落ち着きが見られるようになった。
毛づくろいをするようになったし、じゃれる時、お尻を振るようになった。
動くものによちよち戯れていたときとは違う。
物影から狙いを定める。
顔はおしりよりも低く、目は獲物に向かって見開いている。
そして瞳孔が真っ黒に広がる時、発達した太ももとアキレス腱が、その全身を解き放つ。
爪で引っ掛け噛み付くと、口に咥えて落ち着ける場所まで運んでいく。
誰に教わったわけでもないのに、本能が彼を猫にしたのだ。
「吾輩は猫である」
先輩には遠慮しても人間にかまうことはない。
ある日、風になびくカーテンを彼は見た。
その向こうは曇っていても部屋の中よりも明るい。
匂いはなんだろう。
カーテンの隙間から向かいの家が見えた。
スズメとカラスがいる。
あれは何だ。
彼の耳はカーテンを通り過ぎた。
その時、ブオーンという大きな音がする。
ガチャっと金属の音、カツカツと靴の音、バッと白いヘルメットをかぶった郵便局員が前の家の扉を開ける。
彼は目を見開いていた。
我が家の足音にも敏感になる。
家の人に振り向いた。
そしてすこし間を置いたかと思うと走って押入れに入り込んでしまった。
はじめての光景、動くものと音に相当なショックを受けたようだった。
1時間、2時間が過ぎていったのにでてこない。
4時間たった。
日は暮れた。
彼はひょっこりとでてきた。
そして何事もなかったように夕飯をむしゃむしゃと食べた。
我が家は彼がとっても怖がりであることを知った。
数日が過ぎ、また開かれた窓から、大きなカラスを見た。
また押し入れに飛び込んだ。
それから数時間でてこない。
この時間がとても長い。
我が家に甥っ子が遊びに来た。
まだ4歳の同類である。
「黒い猫見たい」と言う。
もちろん彼は押入れの中である。
我が家では彼が押し入れで何をしているのか、話題になり始めた。
縮こまって眠り込んでいるのだろうというのがもっぱらの意見であった。
センシチブな奴だから絵でも描いているんだろう、なんていう冗談が出たこともあった。
その繊細な感性で、心の衝撃を描く芸術家というのも人間ならありえる。
ある日、片付けの最中に、彼がよく入り込む押し入れを少し開けてみた。
するとくちゃくちゃに散り乱れた紙くずが多数見つかった。
しまっておいた雑誌やらトイレットペーパーらを手当たり次第かきむしって散らかしていたらしい。
高価な紙を感情的に紙くずにしてしまうのはネコか小説家くらいのものである。
彼が小心者で繊細なのは間違いない。
事あるごとに押入れに入って自分の世界に入り浸る彼のことで、「また小説書いてるよ」というのが最近の流行りである。
我が家では彼を小説家と呼んでいる。
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