【4分33秒】終始無音で有名なジョン・ケージの作品を考察

2021年10月2日土曜日

★Ablock ☆Renewed 音楽レビュー

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■「4分33秒」の所感


この曲の存在は知ってはいましたが、しっかりと最初から最後まで映像で見るのは初めてでした。

聞こえたのは、おそらく聴衆から出たであろう何かをぶつけた音や衣服の擦れる音、そして拍手です。

どこまで含めればいいかわかりませんが、演奏者の椅子を引く音、マイク録音でのノイズ音も聞こえました。言われてみればだが、自分の部屋の中の雑音も聞こえました。


■発見した特徴

「きく」は、意識的に聞くことを表す「聴く(listen)」と、耳が音を感じる「聞く(hear)」とに表現を分けることがあります。

この曲から感じたことは、この曲を聴こうとするとき、それまで単に「聞く」で済ましていたものが、「聴く」に変わったことです。


例えば、録音時に発生するノイズは、会場では聞こえないわけですから、会場の方が良質な環境といえます。

しかし、聴衆が落ち着きなく雑音を出してしまうなら、高性能な録音機器とイヤホンで聴いた方が、環境がいいと言えます。

つまり、この曲を雑音なく聴ける環境が、最も音楽を聴くのに適していると解釈することもできるのではないかと思ったのです。


■無音が音楽と呼べる理由

この曲が音楽といえるかについてですけども、もしこの曲を作曲した人が作曲家であり、演奏する人が演奏家であるならば、音楽といっていいと考えます。


もう少し細かく言いますと、ピアノ曲であるが作詞でもなく、歌でもない、バイオリン曲でもないということです。

そこには「あえて」という概念が重要になります。

卓越した独創性と演奏技術を意識的に止めるとき、はじめてそれは「タセット(長い休止)」となるのです。


また、音楽には感動することがその定義に含まれるとします。

すると、この曲が音楽といえるかどうかは聴衆の聴く技量・知識も重要ということになります。

これまで様々な音楽を聴き、音楽史を学び、その経緯の中で、いかに唯一無二の音楽を求めて作られた作品であるかを理解してこそ、それが感動となり拍手となるのだろうと思うのです。

【グスタフ・マーラー】代表曲・交響曲第三番第6楽章の解釈「神が生きていた時代をもう一度」岡田暁生著「西洋音楽史ー『クラシック』の黄昏」を読み、グスタフ・マーラーの代表曲・交響曲第3番6楽章の音楽構成に着目した。彼がどんな思いで作曲したのかがとても興味深い。王権や宗教の衰えの中で、民衆は新たに陶酔できる対象を求めていく。一方マーラーも己の宗教捨てつつ、失いたくない何かを音楽に託したのか。リンクeliasmates.blogspot.com

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