【映画】ヘレンケラーを知っていますか|レビュー(内容について触れています)

2021年10月3日日曜日

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「ヘレンケラーを知っていますか」を観て感じたこと

■映画の所感

世界的に有名な日本のドラマ「おしん」を演じた小林綾子さんが盲ろう者女性に扮する2005年に公開された映画である。

ヘレンケラーの名を知らないものはいないだろう、と私はてっきりこの映画はヘレンケラーの伝記物だと思いながら鑑賞を始めた。


■盲ろう者の女性と精神疾患の少年の出会い

この物語の舞台は日本であり、盲ろうの老女と不登校の少年が登場する。老女は耳も聞こえず目も見えないが、訪問介護を受けながら身の回りのことをできる限り自分で行い、自立心のある生活を送っている。洗濯物を取り込む姿や風呂場を掃除する姿は彼女のそういう気丈な性合うをよく表すとともに、介助する立場であったら利用者ができることまでやってしまい、結果利用者の自尊心を傷つけたり、かえって生活力を奪ってしまうのではないかという疑問を投げかけた。老女と打ち解け始めた少年がやかんを手に取って手伝おうとした際も、「感覚が鈍るので自分でやる」という旨を伝えている。利用者にとって本当に益になる支援が何なのかを考えさせられた。家族としての接し方についてもだ。

少年は精神疾患を疑われていたようであり、「自分は病気なんかじゃない」と父親の同行を振り切り、逃げ出した末にこの老女の家に行き着いた。リストカットの痕があり、自殺衝動を内に秘めている。一番身近にいる両親でさえ彼の心情を察することはできない。


■心の苦しみを察する体の不自由さ

私が特に意外に思ったのは、老女が少年に深い同情を示したことである。彼女は若い頃に視覚、聴覚を失い、結婚相手を失い、手に職をつけるのも、その希望を持つだけでも大変な思いをしてきた。「健康で不自由のない身体、自ら傷つけるなんて馬鹿なことはやめて学校に行きなさい」と説教するもあり得る話だ。しかしただ「つらかったね」と言って背中を摩る光景は、物語としては完ぺきな道筋をとっている。現実世界でいう、最善の対応である。なぜ彼女は彼に同情できたのか。

人には目に見えないものを知覚することは難しい。経験したことのないことは理解できない。「身体よりも精神の障害の方が、周囲から見てわかりにくい」とは講義で学んだばかりの貴重な知識である。しかしだからこそ、思い通りにできない「不自由」という共通の障害についてこの二人は共感できたのではないだろうか。

彼女には共に涙を流して寄り添ってくれる両親がいた。しかし彼女の結婚については応援しなかった。一生を左右する、最愛の人との仲を引き裂くあの状況は、障害者に対しての人権侵害を最も辛辣に描写しているところであろう。

身体障害者は精神障害者の苦悩を体現している。そして精神障害者の実在は、健常者の世界にある弱点を指摘している。

彼女の母親はかつて、「ヘレンケラーを知っていますか」と言って支援側を説得した。私たちも障害者を知らずして、「生きる」ということを、社会に、そして自分自身に、完全に説得することはできないだろう。

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