小室眞子さんと宗教2世との共通点|なぜ国民の声は届かなかったのか

2021年12月2日木曜日

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なぜ国民の声は小室眞子さんに届かなかったのか

国民は眞子さんの気持ちを理解していたか

■宗教2世問題をヒントに小室眞子さんの気持ちを考える

宗教2世という言葉を耳にしたことはあるだろうか。

端的に言うと、親が何らかの宗教に入っていたためその宗教の信者になった子どものことである。

しかしながら、仏教であろうとキリスト教であろうと、また他のどんな宗教であろうと宗教に入っている親の子ども全員が宗教2世と呼ばれるわけではない。

宗教には大抵世間一般の習慣とは異なる戒律や作法がある。

親はもちろんそれらに準じて生活しているわけだが、それを自分の子どもにも同一に守らせようとして初めて「宗教2世」と呼ばれるようになると言えるだろう。

そして「宗教2世問題」と問題視される時は、おおよそ子どもがその宗教がらみのことで親から束縛を感じていたり、恐怖を感じていたり、あるいはあからさまに虐待を受けている場合である。

中には2世ではなく3世、4世と数世代にわたって宗教を受け継いでいる家系もあるだろう。


下記の記事は宗教2世問題について知識を深めるには有用であったが、宗教2世をカルト2世と呼ばないことへの批判に方向性が傾いている。

NHK、「宗教2世」番組を放送。カルト2世問題を“宗教”に一般化する危うさ (msn.com)

筆者の言わんとしていることはわかるし大切なことであるかもしれない。

ただ、一つの家庭で虐待が起きたからと言ってその家族の属している宗教がカルトであると位置づけることはできないし、また一般的にカルトと認識されていない宗教で虐待があった場合、宗教・カルト2世問題にカテゴライズできないという不自由さは避けなければならない。

無論スピリチュアルアビューズ(霊的虐待)という、より広義な言葉を使えばいいのだろうが、宗教2世と呼ぶことは親と子の関係性を強調したい2世問題において、その妥協点と言ってよいのではないかと思う。

つまり「カルト2世」より「宗教2世」の方がより強調と汎用性の面で優れているということである。

そして宗教2世問題は、親の価値観を子どもに押し付けることによって起こることであるから、似たような問題はスポーツでも政界でも芸能界でも、様々な分野で起こっているといえる。

だからこれを小室眞子さんと関連付けるとき必ずしも”宗教”2世である必要はなかったのだが、それは私自身の趣向と選択であることは前もって申し上げておきたい。

ただスポーツや政界の2世と宗教2世に違いがあるとすれば、それは前者の世襲が親や周囲の人の願望によって起こるのに対し、後者の世襲は親の意思でさえその宗教団体からの圧力によって増幅されているきらいが強いところにあるだろう。


さて、小室眞子さんの結婚問題から見え隠れする親子の確執が宗教2世問題と共通点があったとしても、もちろん小室眞子さんは2世どころではない。

Wikipediaで調べたところ初代神武天皇から数えて今上天皇が126代目、小室眞子さんはその弟君であられる秋篠宮様の子女だから世代的には126世ということになる。

だが時代が常に動いていることを考えれば、皇室の在り方や教育方針も変わっているわけで、親子の世代間に焦点を当てれば”2世”の問題ともそれほど遠からぬ議論ができるのではないかと思っている。

道

■自分の生まれを恨むということ

この記事を読んでほしい。

佳子さまは一時金を「そんなにもらえるんですか!」眞子さんに報告された“結婚と男女交際”への意見《ダンスに打ち込み“精神的な乱れ”を…》 (msn.com)

皇室や眞子さんに近い人の動向と考えがつらつらと書かれている。

眞子さんがどう思っているかなどの信憑性に関して保証はできないものの、人の言葉まで捏造したりはしないだろう。

それを踏まえて考えてみると、眞子さんの生育環境はある種の束縛という点で言えば宗教2世と重なる部分がある。

また自分が特別な存在であるが故の孤独もそうだ。

宗教2世問題が顕著になるのは、信者は特別な存在で、不信者は悪、もしくは堕落した者という概念がある場合である。

すべての宗教がそのように教えているわけではない。

また皇室が庶民を下等なものとして扱っているわけでもない。

しかし、皇室の品位を保つために作法、言葉遣い、友達付き合いに一層の気遣いが必要になると思うし周囲の目もあるだろう。

戒律・習慣が違うためにクラスメイトと生活スタイルを異にする宗教2世の孤独感と束縛と似通っている部分があるように思える。

また皇室に対しても反対派がいて宗教で言う迫害に脅える毎日がある。

そこで生じる感情は、宗教2世のケースを参考にすれば、「自分がこんな不幸な境遇に生まれたことを恨む」というものだろう。

周囲で普通に暮らしている人たちをうらやむかもしれないし、この環境から早く抜け出したいと願うかもしれない。

■小室圭さんと国民のどちらが眞子さんを理解していたか

眞子さんは小室圭さんと出会ったとき、彼に対する愛情の他に、この息苦しい環境から抜け出せる手段が見つかったと考えたのだろうと上の記事からは読み取れる。

だからどうしても彼と別れることはできなかった。

いや、彼が本当に眞子さんに対して薄情で考えの浅いどうしようもない男だったならプロポーズを受けることはなかっただろう。

しかし、彼の不幸な境遇は彼女にとって自分の不幸と重ねて同情するに十分であり、世の中のバッシングが高まっても今までの窮屈さにとどまるよりは魅力的だったはずだ。

更に、「自分の境遇を不幸に思うなんて贅沢だ」という国民のことは、これまで理解してくれなかった周囲の人々と同じように映っただろうし、

結婚を阻もうとする人々の声はそれがどんな動機であれ、敵のように映ったことだろう。

そうした人たちの反対がたとえ愛情から来ていたとしても、親の”愛情”、周囲の"気遣い"ですっかり参ってしまって嫌悪にすらなっている眞子さんに通じるわけがないのだ。

小室眞子さんの結婚を不安視し反対した人の声が彼女に届かない理由はここにあると考える。


小室眞子さんは生育環境において、内からは束縛、外からはバッシングを受けてきた。

それらに対する防衛意識が植え付けられていたとしても不思議ではない。

だから国民が結婚を阻止しようとする声にはどんな動機であれ自分を苦しめるもの、夫へのバッシングに対しては耳を傾ける価値のないものと判断できたのだろう。

国民は夫小室圭さんほど、小室眞子さんのことを理解していなかった。

彼女の感情をなおざりにして、彼女の幸せだとか、皇族の在り方とかを延々と説教した。

その指摘は正しかったかもしれないが、方法も順序も間違っていた。

中には彼女の気持ちを察していた人もいたかもしれないが、その小さな声は周囲の雑音にほとんどかき消されてしまっていたのだ。


国民の中で小室夫婦をバッシングする人たちは皇室を何のために残したいのか、今一度考えるべきである。

皇室をなぜそこまで清らかなものとして保ちたいのか自問自答するべきである。

それにはまず自らの助言が的外れではなかったか振り返る必要があるだろう。

そして天皇を掲げられるほど自分の口は正しかったか、自分の手は清らかだったか見つめなおす必要がある。


宗教2世問題に登場する親や信者のように、若い世代に自分の理想を押し付けてはいないだろうか。

皇族は世の中に住んでいる。

決して別世界の人間ではない。

私たち国民の民意を映す鏡である。

そういわざるを得ない。

私は皇室をカルトとは言っていない。

しかし、小室眞子さんをバッシングする人の中にこそカルト的に訴える人はいなかっただろうか、と案じている。


ところで眞子さんの名前の由来は「天性のものを失わず、自然に、飾ることなく、ありのままに人生を歩む」という願いが込められてのことだそうだ。

父・秋篠宮様より命名されたらしい。

一昔前に流行ったディズニー映画「アナと雪の女王」の主題歌「Let It Go」を彷彿とさせる。

城を抜け出た眞子さんが本当の自分を見つける日は訪れるのだろうかと考える。


小室眞子さんと小室圭さんのバッシングが過熱した原因を 【小室眞子さん】加藤茶・加藤綾菜さん夫婦から学べる幸せな結婚の条件 にまとめました。

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