死んでしまったら貯金は無駄?
最近、日本でも投資ブームが再燃し、ネットでも金融関係の記事を目にすることが多くなりました。
誰でもより良い暮らしをしたいと願います。
1億円!とまではいかないまでも、不自由な生活を強いられない程度の貯金があった方がいいと感じるのでしょう。
そんな中、「死ぬまでに貯金を使い切る方法」という趣旨を謳った記事に目が留まりました。
老後のために「貯蓄しすぎた人」が陥る 3つの落とし穴とは? 『DIE WITH ZERO』の著者による指摘 | Business Insider Japan
どんなに貯金をたくさん持っていても死んだら使えない。
だから生きているうちに使った方が幸せになれるということです。
一見、合理的な様にも思えます。
お金は使ってこそ価値があるものというのも一理ありますし、間違いではありません。
しかし、もう一歩深く考えてみるとこれは不可能であり、合理性にも欠けていることに気づきます。
理由を3つ申し上げます。
寿命が分からない
まず第一に自分がいつ死ぬかなんて言うのはだれにもわかりません。
医学が発達した現代の医者でも無理です。
病院で余命宣告を受けた人がその後10年以上生きながらえているなんて言うこともあります。
100歳まで生きるかもしれませんし、はたまた明日事故や災害で死ぬかもしれません。
平均寿命の80歳くらいと仮定してそれまでに使い切ってしまったとしてもし100歳まで生きたら20年もの間、無一文で暮らさなければならなくなります。
逆に100歳までと仮定しても70歳で死んでしまったら30年分の貯金を残すことになってしまいます。
寿命を予測することができない以上、死ぬまでに貯金ゼロを目指すというのは現実的でない考え方なのです。
不確定要素をもとにスケジュールを立てると、思わぬ出来事に振り回されることになります。
いつお金が必要になるかわからない
もう一つはいつ大金が必要な事態に陥るか予測できないことです。
災害・戦争・病気・事故・事件・恐慌などなど、数え切れませんがお金が必要になる出来事は突然降り注ぎます。
私たち自身の選択とは全く関係ないものもあるのです。
地震が起きて家財が壊れてしまったらお金が必要です。
自分が、親族が突然病気になったら治すための手術に、そして退院して社会復帰できるようになるまでの生活費にお金が必要になります。
事故を起こしてしまったら、たとえ保険に入っていてもその後の保険料は高くなります。
戦争や恐慌が起こったらインフレになり一夜にしてお金が紙切れに…。
これは貯金の意味がないように思うかもしれませんが、土地を買うにも、債権を買うにも元手が必要です。
それにもし逆にデフレが起こって株が暴落したら頼みの綱は貯金しかありません。
不測の事態に備えて貯金はあったことに越したことはないのです。
貯金は心の余裕になる
世の中お金がすべてだとは思いません。
もちろんお金をあの世にもっていくこともできません。
ですが、私たちは自分の権利を主張するためにお金が必要な世界に生きているのです。
お金がないと人の心は荒みます。
優しさを忘れてしまうこともあります。
もしホームレスになってガス・水道代も払わなくていいとなったらまた別の話です。
しかし何かと物入りな一般的な生活においてお金があることは精神衛生上かなり良い効果をもたらしてくれるのです。
私の祖父母はそこそこの貯蓄を残してこの世を去りました。
誰にも迷惑をかけるわけでもなく、疎まれることもなく、陰口や文句を言う人は一人もいません。
死んでしまえば周りから何と言われようともう関係ないと思う人もいるかもしれませんが、大事なのは自分が生きている間に、自分が死んでも誰にも迷惑をかけることはないだろうと思える心の余裕です。
それに例えお金の力とはいえ、兄弟や息子娘、孫たちからお小遣いをくれる人と期待されたり、もしもの時に頼りになると誇ってくれるのと、ただお世話をしたり挨拶しなければならない人と認識されるのではどちらが幸せでしょうか?
死んだ後もお金は使える
実は私たちは死んだ後もある程度自分の思い通りにお金を使うことができます。
遺産相続と遺言によってです。
そして自分が贔屓にしている施設や母校、街開発のために寄付することもできるのです。
もし誰も相続人がいなくても、貯めたお金は国庫に入って社会に出回るようになるのです。
貯金があって不都合なことは一つもありません。
詐欺の常套句?
振り込め詐欺を生業とする会社では、高齢者のタンス預金を世の中に回すことを社是としていて社会貢献だと正当化しているようです。
詐欺とまではいかなくてもお金持ちの資産を狙ってあの手この手で財布のひもを緩めようとしてきます。
「死ぬまでに全部使い切る」というロジックは、まさに詐欺師にもうってつけの言い回しであることに注意が必要です。
自分中心にならないことが大切
金は天下の回りものとはよく言ったものです。
それは必ずしもお金を使えばいつか自分に戻ってくるというわけではありません。
例えば「年収500万で貯金を1000万残して死んだ人は2年分無駄働きをした」というような人に、その2年は決して無駄ではないと申し上げたい。
それはあまりにも自己とお金に執着した考え方です。
働くということはそれだけ社会に貢献したことになります。
町の清掃ならそこで暮らす人たちが気持ちよく病気にならない効果をもたらしました。
自動車整備ならば、車好きの人とワクワクして話したかもしれませんし、何より交通安全に貢献しました。
料理人ならたくさんの人の腹を満たし、活力を与えたことでしょう。
社会貢献したことはされた側の人間のみならず、した方、つまり自分自身の生活の充実感にもなったはずです。
誰もお金のためだけに働いているわけではない。
いえ、お金意外にやりがいを見いだせる生き方こそ人を幸福にするのです。
「お金よ、自分のところに回ってこい」ではなく、「お金は世の中を気まぐれに回っているのだから自分たちはそこに囚われず普段通りの生活をしよう」ということなのです。
目的はお金ではなく幸せ
「死ぬまでにお金を使い切る」という考え方はどうしてもお金主体になってしまいます。
そうではなく、「私たちはこの世の中で自分と周りの人の幸せに目を向けよう」と考えていれば、おのずと「必要な時に必要なお金を使う」という行動をとるようになります。
それを習慣づけ老後に備えていけばいいのではないでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿