コロナは「ただの風邪」は個人的な判断
風邪の定義に準ずるか
コロナはただの風邪、この認識はちょっとした勘違いからきていることが多い。
「コロナ」という場合、それが何を意味するのか二通りに分かれる。
それが新型コロナウイルスと新型コロナウイルス感染症である。
この二つは場合によっては分けて考える必要がある。
新型コロナウイルスというのはウイルス、これを風邪を発症させる原因と言っても差し支えないが風邪というのは厳密に言えば間違いである。
新型コロナウイルス感染症は、新型コロナウイルスに感染した症状のことである。
さて、風邪というのはウイルスを指す呼び名ではない。
風邪はウイルスに感染した症状、つまり咳や熱が出た状態のことを言う。
これで新型コロナウイルスは風邪と呼ぶことはできないことがわかる。
一方、新型コロナウイルス感染症は風邪と呼ぶことができる。
「ただの」と「風邪」をつないで使うときは限定される。
次に「ただの風邪」かどうかであるが、それは軽度であればただの風邪、重篤であれば重い風邪ということになり、その程度は人によってさまざまである。
したがって、新型コロナウイルス感染症を一律に「ただの風邪」と呼ぶのは間違っているということになる。
冒頭で説明したように、新型コロナウイルス感染症であっても、微熱や咳、鼻水で収まっているのであれば「ただの風邪」と言っていい可能性は残されている。
社会通念と相いれない認識
しかし次に考慮しなければならないのは社会通念と医療が解明できない未知の領域についてである。
つまり、どんなに軽症であったとしても、新型コロナウイルスが社会的に特別視されている限り、それは「ただの風邪」と呼ぶことはできない。
会社は休まなければならないし、療養で隔離された状態になる。
またそれを他者へ感染させた場合、集団感染として認識される恐れもあるから「ただの風邪」ではない。
しかしこの社会通念に関しては、人の価値観によって反論する人もいると思う。
この場合、ただの風邪の反対の意味を表す言葉は、重い風邪ではなく特殊な風邪、もしくは特別な風邪ということになる。
未知に対する防衛意識
医療が解明できない未知の領域についてであるが、新型コロナウイルスが確認されてから2年が経つので、様々なデータが集まり、初期よりは解明されてきた。
しかし、流行から半年ほどで「ただの風邪」と言っていた人たちにはもう少し感染症に対する知慮と分別が必要であると思う。
すでに新型コロナウイルスおよび新型コロナウイルス感染症が「ただの風邪」と呼べないことは最初に説明したが、100歩譲ってその勘違いに目をつぶったとしても、解明されていないものについてああも自信満々に断言できる感覚は不思議である。
超能力者か予言者か。
どちらにせよ、現代の科学的見識のない考え方である。
新型コロナウイルスの研究は進んでいるものの、いまだ懸念されるのは後遺症と変異株のことである。
最後に身もふたもない話になるが、「ただの風邪」というのは、一種の俗語であって、もちろん症状を見た医者がそう言うことがあったとしても、基本的には、仕事前のお父さんがくしゃみをし、愛妻が「だいじょうぶ?」と聞いたときに「こんなのただの風邪だ!」と強がる時にいう程度の言葉であることは心に留めておいてほしい。
間違っても科学的だとか医学的な証明というスタンスで言うものではない。
現在、風邪の症状を起こすウイルスは200種類以上あるといわれている。
風邪を引き起こすウイルスとは?症状の特徴、感染経路と予防 | いしゃまち (ishamachi.com)
それらが原因で起こる風邪を「ただの風邪」にしてくれているのは、人類に蓄積された免疫力と医学の発達、そして衛生への意識である。
多くの犠牲と多くの研究がそれを可能にしてきた。
新しいウイルスを「ただの風邪」と一蹴することは、これらの積み重ねを無視する軽率な言動である。
ただの風邪という人の価値
「コロナはただの風邪」と吹聴する人たちには確かに認識の上での誤りがある。
ただどんな人間でも情報の入手したタイミングや環境により知識に差が出てしまうのは仕方がないことである。
大切なのは時間がかかっても情報を精査して認識を改めていくことであるが、これも生活歴により差があるので責めてはいけない。
また、「コロナはただの風邪」と主張する人の動機としては、好きなイベントを中止されたくない意向、経済活動の停滞が悪影響を及ぼすとの考え、所属団体の方針などが関係している場合も見受けられ、その主張に全く理論を持っていない場合もある。
度重なる政治家の汚職事件に政府への不信感を払しょくできないことへの不満が原因であることもある。
一概にカテゴライズできないが、このような有事の際には混乱の原因になるとはいえ、平時の際には彼らのような短時間思考で行動に移す人々が経済活動の起爆剤となり助けられていることもたくさんあるかもしれない。
そこには一定の価値があることは認めよう。
私たちは状況や環境によって、強みが弱みに変わったり、反対に弱みが強みに変わったりする。
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