木綿のハンカチーフの歌詞|「ひどい」「純愛」二つの解釈

2022年1月1日土曜日

音楽レビュー

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歌詞

恋人よ 僕は旅立つ 東へと向かい列車で はなやいだ街で 君への贈り物 探す 探すつもりだ

いいえ あなた私は 欲しい物はないのよ ただ都会の絵の具に 染まらないで帰って 染まらないで帰って

恋人よ 半年が過ぎ 逢えないが泣かないでくれ 都会で流行の指輪を送るよ 君に 君に似合うはずだ

いいえ 星のダイヤも 海に眠る真珠も きっとあなたのキスほど きらめくはずないもの きらめくはずないもの

恋人よ いまも素顔で 口紅も つけないままか 見間違うようなスーツ着た僕の 写真 写真を見てくれ

いいえ 草にねころぶ あなたが好きだったの でも木枯らしのビル街 からだに気を付けてね からだに気を付けてね

恋人よ 君を忘れて 変わってくぼくを許して 毎日愉快に過ごす街角 ぼくは ぼくは帰れない

あなた 最後のわがまま 贈りものをねだるわ ねえ涙拭く木綿の ハンカチーフ下さい ハンカチーフ下さい

作詞:松本隆

作曲:筒美京平

所感

太田裕美が歌って大ヒットとなった「木綿のハンカチーフ」の歌詞。

リリースされた1970年代の日本では、地方から東京に進出する若者が増え、この歌に共感するカップルが沢山いたのではないかとうかがえます。

最初は愛し合っていた恋人たちが、だんだんとすれ違って最後は別れに至ることを示唆する、何とも切ない歌です。

曲調は明るい。

だからこそ、希望に満ち溢れた冒頭の旅立ちの雰囲気にマッチしながらも、悲哀が増していくほど、なんだか強がりのような健気さが強調されていくような作りになっているところが作品価値を高めているように思えます。


歌詞を読むところ、その当時の主な連絡手段であった男女の手紙のやり取りだろうことが推測されます。

そう考えると電話が主流になった一時期を通り過ぎ、LINEやSNSが発達し文字でのやり取りが多くなった今の若者も共感できる曲になるかもしれません。

そしてすれ違いほど切なく悲しいものはないのです。

私はこんなに切ない気持ちにさせる曲を作った松本隆さんと筒美京平さんが、アーティストの才能も含めて少し"ニクイ"と思ってしまいました。


さて、この歌詞は上京した男性の心が故郷に残って帰りを待っている女性から離れていき、別れを切り出すという形になっています。

最初に素直な解釈を述べたいと思います。

「ひどい」「薄情」な男と思われるオーソドックスな解釈

「ぼくは旅立つ」と言った男性の心は女性への思いでいっぱいである。

「君への贈り物」と言っているから、旅立つのも行く行くは彼女を迎えるためだと考えていたと思えるほどだ。

それに対して女性は「欲しい物はない」と言っている。

きっとこれは”あなたさえいてくれればいい”という意味であると思うし、この物欲のない純真さと包容力がこの男性の心を射止めたのだろう。

しかし、女性がただ都会の絵の具に 染まらないで帰ってと、都会が危険で怖いところと感じていることや、将来の不安をこぼしているところは心に留めておきたい。


次のやり取りである。

半年が過ぎたころらしい。

まだ一度も会えていないのだ。

昔は通行料金も今より高いし、現代でも九州と大阪、青森と東京くらい離れていたら半年では帰れないこともあるだろう。

男性は女性が都会を怖がっているのを尻目に「都会で流行の指輪を送るよ」と言っている。

どうやら男性は前から都会にあこがれていたようだし、都会が好きなようだ。

ここにちょっとした女性との価値観の違いがあることに注目したい。

そして女性は男性の贈り物よりもキスがいいと言っている。

それを伝えてしまっている。

キスの方がいいというのを男性が聞いて、”嬉しい”と思うだろうか、それとも”贈り物を拒否された”と思うだろうか。

少し怪しい。

ただ女性としては、どうしても早く会いたいのだろうし、その気持ちを抑えられないだけなのかもしれない。


3番になり「いまも素顔で 口紅も つけないままか」と男性は書き送った。

「見間違うようなスーツ着た僕の...写真を見てくれ」と伝えている。

都会の女性たちはみんなお化粧が上手いのだろう。

その違いを思わず書いてしまったのか。

そして故郷にいた時とは違う、社会人としての自分を見てほしいと訴えている。

対して女性は「いいえ」と言い切った。

「草にねころぶ あなたが好きだったの」と今の男性を否定し、昔の「あなた」を求めている。

女性が初めから不安に思っていたように、都会の絵の具に染まってしまった男性に寂しさを抱いているようだ。

いや、残念がっているといってもいい。

この辺で男性と女性の価値観のずれが決定的になったといってもいいだろう。

ただ男性にも言い分がある。

働いて自活して出世の道を邁進するには、もう学生の頃の無欲な人間ではいられないし、女性の言葉は夢見がちな少女のように思えたのかもしれない。

ここには地方と都会との差を表現しているとともに、学生時代の恋愛とと大人の恋愛での価値観の違いを表しているともいえる。


最後は別れの手紙である。

「君を忘れて 変わってくぼくを許して」と書いた男性。

自分はもう女性の愛しているような男ではないことに謝っているようだ。

そして「毎日、愉快に過ごす街角 ぼくは...帰れない」らしい。

「はなやいだ都会」、男性が最初から憧れていた都会は彼を受け入れてくれた。

そしてそれを拒否する女性の頑なさに嫌気がさしたのだろうか。

新宿か、銀座か、もしかしたら都会の流行の宝石と化粧と洋服を着た魅力的で気取った別の女性を見つけて追いかけているのかもしれない。

彼にはそっちの方があっているのか。

無情にも男性は、ずっと一途に待ってくれていた女性に別れを切り出したのだった。

「ぼくは帰れない」と。

女性はその返答に最後のわがままとして「涙拭く 木綿のハンカチーフ下さい」と書き綴った。

木綿のハンカチーフに何か思い出があるのだろうか。

指輪でも化粧品でもなく、ハンカチーフ、しかも木綿という素材、彼女は最後まで純粋であることを貫いたのだった。


男性が上京してどのくらいの月日がったのだろうか、半年以上は確定としておそらく1年かそれ以上だろうか。

結局この恋人たちは、一度も会えないまま心まで切れ切れになってしまったということである。

都会が人を変えてしまう物悲しさを残す。

男性の愛は消えていなかったという解釈

もう一つの解釈

「はなやいだ街で 君への贈り物 探す 探すつもりだ」

男性は女性との別れ、故郷との別れが寂しくて寂しくてたまらない。

新天地も華やかな都会も恐いし不安でいっぱいだ。

だけれどそんな弱々しい姿、愛する人には見せられない。

彼女まで悲しくなるし不安になる。

だからそうやって都会は綺麗な所だと言って強がり、女性への贈り物を探すといって勇気をもらっているようだ。

そんな男性の心境を察してか、女性は「欲しいものはない」、都会に染まらないで帰ってと伝えている。

きっと男性は励まされたことだろう。

彼女は自分のありのままを受け入れてくれているし、言葉足らずでも気持ちは繋がっている、と。

半年経って満員電車でもみくちゃにされ、数字ばかりのオフィス業務に追われて大変だけれど、大分仕事が板についてきた。

男性は給料も出たから「都会で流行の指輪」を送ると言ってみた。

すると彼女はそんなものいらないと返してくる。

欲しいのは自分だと。

男性は都会にいて忘れていたあの頃の和やかな日々を思い出した。

そして仕事に一区切りついたら、自分をずっと待ってくれている彼女に必ず会いに行くと心に誓ったのだった。

時はあっという間に流れていく、仕事は一向に収まりがつかない。

年末にかけてさらに多忙になっていく。

無機質のビルに囲まれ、排ガスに汚れ、女性は皆化粧で素顔を覆い、着飾っていて本心は見えない。

「今も素顔で」いるかと男性は思わず問うてみた。

スーツで頑張っている自分を写真に撮って送ってみた。

すると彼女は「草にねころぶあなたが好きだったの」と返してくる。「木枯らしのビル街 からだに気をつけけてね」とも。

やっぱり彼女は違う。

都会の心の見えない女性とは違う。

大切なものを忘れかけた自分を目覚めさせてくれる人だ。

彼女しかいない。

彼女だけがぼくをわかってくれている。

今すぐにでも会いに行きたいのに、本当にごめん。


年を越したというのに帰る暇もなく仕事は続いている。

もう一生帰れないのか。

胸は寂しさと虚しさでいっぱいだ。

「恋人よ ぼくを忘れて」

(君を忘れることなんてあるわけないじゃないか)

「変わってく ぼくを許して

(本当はぼくはこれっぽっちも変わっていないんだ)

「毎日愉快に 過ごす街角」

(仕事が忙しいとはいえ事実、君に会いに行けないぼくはもう君に愛情を注いでもらう資格もない。

本当は楽しくなんかない。

都会の街なんて嫌いだ。

でもどうかこんなぼくを忘れて別の誰か君を寂しがらせない人と一緒になってくれ)

「ぼくは帰れない」

男性は強がっていろいろ言い訳をしているようだが、ただ帰れないだけなのだ。

本当にただ帰れないのだ。


彼女から手紙が来た。

「最後のわがまま」だと。

あんなに何もいらないと言っていた彼女が贈り物をねだるのだと。

それは「木綿のハンカチーフ」


デパートで木綿のハンカチーフを購入し、それを手にした男性は泣き崩れた。

その暖かな手触りに。

彼女と故郷を思い出した。

そして静かに自分の額に当て、そして涙をぬぐうのだった。


察しのいい彼女が彼に送ることができた最後の、そしてせめてもの愛情だったのかもしれない。

彼らのその後

二つの解釈があったとしても、どちらもこの男女は別れてしまいます。

しかし、私はこの物語には続きがあると思うのです。

それは同じ松本隆と筒美京平が作った歌「赤いハイヒール」の中のお話です。

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