ブタの心臓をヒトに移植
倫理的な問題が見え隠れする
最近、ブタの心臓をヒトに移植したというニュースを見て医学の進歩に驚いた。
世界初「ブタの心臓をヒトに移植」手術後も“順調”…なぜブタ?拒絶反応はどう防ぐ?移植の背景を解説 (msn.com)
記事にあるように、もちろんブタの心臓をそのまま移植したのではなく拒絶反応しないよう遺伝子操作している。
このような新たな技術に対して倫理上の問題は起こるものだが、今回の件で言えばおそらく大きく分けて懸念されることが二つある。
一つは遺伝子操作であり、もう一つはブタという人間以外の臓器を使用することだ。
根底にあるのは宗教観だったり、人間が持つ保守的観点だろう。
本人への健康被害はもちろんのこと、この技術が社会に与える影響を考えると革新的な側面と脅威的な側面の二つが混在する。
心臓に関するうわさ
心臓にはあらかじめ鼓動できる回数が決まっており、心臓は寿命に大きくかかわっているというのを聞いたことがある。
だとすればブタの寿命が10年から15年らしく、このブタは心臓の大きさを考慮して若いものを使っているから、あと10年ほどしか持たないのではと思ったりもする。
しかし、次から次へと新しい心臓に移植できるのだから、むしろ心臓による寿命で死ぬことはないともいえるのだ。
そうするとあとは他の臓器が寿命の決定打になるわけだが、それらも移植可能になれば後は脳くらいなものか。
さすがにこれが移植されれば記憶も人格も別物になってしまう気がする。
が、その時には移植ではなくIPS細胞などで新品を作ることもできるようになるのだろうか。
また体には神経が張り巡らされており、心臓にももちろん神経はある。
神経には人の習慣、嗜好などが記憶されているとも聞いたことがある。
その辺の影響はどうなのか興味がある。
「アイランド」の世界線回避か?
映画「アイランド」では臓器移植をテーマにした人権問題を取り扱っている。
富豪たちのために臓器提供のためだけにクローン人間が造られるという問題作。
そこにいるクローン人間は家畜のように施設に閉じ込められ自由はない。
クローン人間を作るよりはブタの心臓に頼った方が倫理的であると言えそうだ。
こんなことは現実には起こっていないだろうが、富裕層が貧困層から搾取している社会の縮図と考えるとあながちSFの世界とも言えない。
ブタは家畜であり、普通は食物である。
ブタを食べて生きることが是とされるのならば、ブタの心臓を移植することも問題ないのでは、と考えてみた。
食物としてのブタは人間自身が消化して吸収し、自分の体の一部にする。
ブタの心臓移植は人間が医療の力を借りて自分のものにする。
医療技術を全否定しながら、そこに反論できるだろうか。
ドナーを待っている患者としては希望の光にもなっただろう。
しかしそこまでして生きたくない人もまたいるだろう。
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