【コロナ】大阪「1日の死亡者数ではない」が招く新たな誤解

2022年2月11日金曜日

社会

t f B! P L

公表には細心の注意を払って

連日、新型コロナのニュースでもちきりです。

去年の5月ごろ、大阪でコロナ関連の死者が急増した際、発表されている数字は1日で亡くなった数ではないとの情報が流れました。

これ自体は正しいのですが、統計の打ち明けを無暗に分析することにより、情報が煩雑になりコロナによる死亡者数をかえって把握しづらくしてしまっていると感じました。

以降、反省したのかそのような情報を流す人は見なくなりましたが、一応おさらいということで以前の考察したことをここで紹介したいと思います。


大阪での死亡者数、2021年5月7日発表の50人と5月8日発表の41人は衝撃的でした。

もちろん、その他の都道府県における感染者数、死亡者数の上昇も軽視できない状況にありますが、やはり突出した数値は人々の関心を集め、大きなニュースとして取り上げられるということでしょう。


4月29日 44人

4月30日 8人

5月1日  41人

5月2日  16人

5月3日  19人

5月4日  20人

5月5日  25人

5月6日  28人

5月7日  50人

5月8日  41人


以上が大阪府における10日間の公表された死亡者数です。

どれを見ても決して少ない数字ではありませんが、5月7日の50人が発表された際、主にTwitterにて危機意識を高めようとする発信と拡散の裏で、「この50人は1日に死亡した数ではない」という指摘が発生しました。

2021年5月7日発表の50人の内訳は以下の通りです。


4月23日 1人

4月26日 1人

4月27日 1人

4月29日 2人

4月30日 6人

5月1日   3人

5月2日   3人

5月3日   4人

5月4日   4人

5月5日   9人

5月6日   16人

大阪府/新型コロナウイルス感染症患者の発生状況(令和2年11月2日以降) (osaka.lg.jp)


このように「死者が50人も!」と言って驚き慌てる民衆をなだめたり、それが政府・大阪行政の失政だと批判する人たちへの反論の材料としてこの内訳を披露するのです。

ただこの中で新たな誤解も生まれているように見受けられていました。

これが大阪府内の死亡者の累計だという誤解です。

5月1日を見て「亡くなったのは3人か」と解釈する人も出てきます。

しかし、実際5月1日に発表されたのは41人です。

この時もかなりセンセーショナルに報道されましたから「3人か」と安堵するのはおかしな話ですが、端的に情報を見せられれば以前の情報など脳内で上書きされてしまうでしょう。

そして5月1日に実際に亡くなられた方の人数は16人(2021年5月9日現在)であり、報告は随時加算されますからまだ増加する恐れもあります。

例えば4月30日は8人との発表であり、前日29日の死亡者数は5人でした。もし内訳を示された時の感覚でいたら29日の死亡者はずっと5人のままです。しかし実際は翌日5月1日に13人追加され、その後も5月2日に6人、5月3日に2人、5月5日に3人、5月6日に2人、5月7日に2人と日に日に増加し、5月9日時点では33人となっているのです。

もちろんこれが4月30日に発表された8人を大幅に超える数値であることや4月29日に発表された44人に迫る数字だとしてもそれらに相関関係があるわけではありません。これらはすべて独立した数値です。

しかし毎日発表される死亡者数に内訳があるという情報が強調され、発表される死亡者数は分解されるからそれよりもかなり少ないという考え方が習慣化すればそれはそれで正確な情報をつかめなくなりますし、誤解を誘導する情報の拡散になります。

死亡者数の集計は日々休みなく行われています。そしてその作業速度に大きなムラはありません。

現に内訳を見てみると過去に行くほど数値が少なく、現在に近づくほど増えています。

これは集計過程において目立った取りこぼしや判断待ちがないことを意味します。

したがって、毎日の発表で大きな数値が出たのならそれは増加傾向にある、小さな数値が出たら減少傾向にあるということを概ね把握できているということなのです。

つまり「今日は50人も!すごい増えた!」という感覚は現状に近く、把握する指標として決して間違ってはいないのです。

逆に「50人は今日一日の人数ではない。内訳はこうだ」と低く見積もる数字の見方は、日々蓄積されるその内訳すべてを毎日確認し過去の分を毎回見直す人でない限り現状から離れた感覚を作ってしまいます。

同じ数字でも見せ方で印象が変わってしまう

なんにせよ内訳には内訳の用途があり、毎日の発表には毎日の発表の役割があります。

確かに毎日発表される死亡者数はその日1日に亡くなられた人数ではありません。ですが、ある程度規則性を持つ集計速度により公表される直近の合計値の内訳を示すことにどれほどの意味があるでしょうか。

私たち庶民であっても医療や経済の専門家であっても、日々の変化を把握するためには簡略化された数値が必要なのです。それが毎日繰り返されることにより推移が算出され、増加傾向かもしくは減少傾向かを見ることができるようになります。ですからその日の発表のために集計された数値をわざわざ分解して指摘する必要があるのか甚だ疑問です。

一か月後、累計を見て初めてその多さに驚くのでしょうか。それともその時はまた別の数字の見方を見つけるのでしょうか。

おそらく亡くなられた方のほとんどが高齢者だということを理由に、今度は医療や高齢者福祉に対する倫理観の変容を画策し、早々と終わることのない哲学の沼にはまっていくように思います。

もう一つ見られた誤解として、内訳をみて「だんだん増えていることがわかる」というものです。

これは日にちが経過すればするほど集計済みの数が多くなるわけですから、集計日に近いほど数値は多く、遠くなるほど少なくなるのは当たり前です。

最後になりましたが今回の件を調べる過程でもしやと思い検索してみたら吉村大阪府知事自らがこの内訳を発表していた記事を見つけました。非常に違和感を覚えます。

吉村知事 大阪で「死者44人」は19日から29日までの期間と補足(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

前述のことを踏まえると、この内訳の使い方は、数字に不誠実な対応であるという感覚を受けます。批判を回避するためだと思ってしまいます。

政策には支持率、信頼度が大切ですから政治家らしいと言えばその通りですが、感染対策の一環としては効果的だとは思えません。

おすすめ記事:

【コロナ対策】飲食店に見る市中感染の盲点

【コロナ禍】経済優先にしても自殺は防げないと思う理由


このブログを検索

Blog Archive

人気の投稿

QooQ