令和になってもスパルタ指導を選んだSKE48と牧野アンナ氏

2022年5月23日月曜日

芸能レビュー

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スパルタ=パワハラではない、が・・・

令和になってもスパルタ指導を選んだSKE48と牧野アンナ氏

「SKE48 ZERO POSITION 〜チームスパルタ!能力別アンダーバトル〜」という30分番組で尺は短いですが、新公演の準備に取り組むメンバーたちの様子がドキュメンタリーとして映し出されていました。

内容は大きく分けて二つ。

  1. ダンス講師牧野アンナ氏の熱血指導
  2. メンバー同士の意見のぶつかり合い

SKE48は2021年春頃にリブランディングを宣言したことから私自身はてっきり体育会系のイメージの悪い部分を払拭していくものと思っていましたので、今回の番組内容はむしろ原点回帰に近いのではないかという印象です。

とはいえ、体育会系のすべてが悪いわけではないのですから、もともとのSKE48のコンセプトを再確認することでリブランディングと原点回帰を同時に進めることに矛盾はないわけです。

そして番組のドキュメンタリー部分については短期的に見れば概ね成功であると見て取れます。

これは中長期的に見て失敗であるという意味ではありません。

中長期的にはわからないということです。

短期的に成功とみる理由は、SNS上において大体のファンが感動している旨を発信しているからです。

反響から見るにSKE48のファンが肯定的に受け取る要因としては、

  • 元来SKE48のファンは体育会系のアイドルが好きでファンになっている
  • これまでの体育会系で炎上したコンテンツ後もファンとして残っている
  • アイドル・運営・番組制作者のいずれかに連帯感を持っている

ことがあげられると思います。

ということはファンのニーズに則したコンテンツと捉えられるわけです。

新規の獲得については、番組が地上波でもなくネット配信でもないのでそもそも新規方面には届きにくいということが前提ですが、

体育会系色が抑えられつつある社会において、これがかえって斬新に映り「こんなアイドルがいたのか」と受け取られ注目される可能性はあるかもしれません。

ただ、体育会系色が抑えられているのには、いじめや自殺などの社会問題というしっかりとした理由があるわけですから、ファン専用の有料番組とはいえどこかで入手された映像が切り取られたり別の意図で拡散されればイメージ低下につながる危険性もはらんでいます。

ダンス講師の牧野アンナ氏がスパルタ的な雰囲気を肯定的に捉えてもらえるよう以前から予防線とみられる発信をしていたのはこのためだったのかもしれません。

またメンバーからもモバメという有料サービスにてレッスンの状況などが少しずつ発信されていたようです。

無言で離れていくファンがいるかどうか可視化されないのではっきりはわかりませんが、ハラハラはさせるもののそこまでの過激さはなかったと感じています。

基本的にアイドル本人を追いかけているファンが、運営や一番組の一シーンが原因で簡単に離れるとも思えません。

ちなみに私はこのドキュメンタリーにはテレビ的演出が多分に含まれていると思っています。

ただ演出とはいえ番組もそれをリアルとして放送しているわけですから、私もあえてそれを彼女たちの本気の信念として受け取り考察することにしましょう。

つまりSKE48は本気でスパルタ指導を取り入れることを選んだという見方で、それが功を奏するのかいなか論じていくということです。

7つの項目に分けて説明します。

1.かの強国スパルタが滅亡したわけ

さて、厳しく指導する"スパルタ指導"、"スパルタ教育"の語源となった古代ギリシャ時代に台頭したスパルタという軍事国家は一時期、周辺諸国に対して圧倒的戦力を誇りました。

戦士の育成に全振りした政治体制です。

これは他国との差別化といっていいでしょう。

SKE48もかつてAKB48との違いをアピールしてスパルタ指導を強調しました。

古代ギリシャのスパルタでは、生まれたばかりの赤ん坊を身体検査し、戦士になれないと判断すると川に捨ててしまったほどだったそうです。

ついて来れないのなら必要ないといった冷酷な一面があります。

現代では到底受け入れられない価値観ですが、当時の乱世では軍隊が滅べば国民全員が滅ぶ。

生き残るためには一定の犠牲は仕方がないと考えたのかもしれません。

また現在の視点であっても、スパルタ指導は上手く使えば個々を強め、団結力を作り出すことが可能だと認識されています。

(一点申し上げておきたいのは、現代のスパルタ指導というのはスパルタの厳しいイメージだけを引き継いだ抽象的なもので、リュクルゴスが提唱したスパルタ制度とは全く違います)

軍隊式の秩序を浸透させ、反乱を許さず、一人一人が国家のための運命共同体となるわけです。

ただ、それだけに内的な方面に視線が向かい、視野が狭まってしまうというデメリットも持っていました。

実際にスパルタの衰退の要因ははっきりとしていないようですが、一説によるとスパルタは非常に保守的な軍事国家で、新しい戦術を取り入れることができなかったり、同盟国を作ることができず孤立していたからという見解もあります。

しかし、一方ではスパルタが強すぎて各ポリスから反感を買ったとか、勝ち続けたスパルタが裕福になりハングリー精神をなくし、自らスパルタ制を軽んじて腐敗てしまったからという見方もあるそうです。

ともするとスパルタが滅んだ理由はかつてのスパルタ制が形骸化し、スパルタがスパルタでなくなったからともいえそうです。(「国はいつか滅ぶもの」が下記の参考サイトの結論ではありますが)

これをSKE48に当てはめるなら、スパルタ指導をアイデンティティとしていたSKE48がそれを捨てるのであればもはやSKE48とは呼べなくなるということにもなるのかもしれません。

ただ、保守的な部分が敗因とされる説も考慮するのであれば、まさに原点回帰への憧れが社会の価値観との乖離を生む危険性を排除できないということになります。

スパルタ|過酷な教育で有名な古代ギリシャ最強の軍人国家 | 世界雑学ノート (world-note.com)

2.スパルタというレッテル貼りと言葉の意味の広がりの怖さ

SKE48が今後も体育会系ないしスパルタ指導を堅持するのであれば当然その弊害も生じてきます。

その一つは単純に世間から誤解されやすくなるということです。

例えば「SKE48はスパルタだ」という評判を聞いた場合どういう印象を持つでしょうか。

SKE48のファンやアイドルグループに詳しい人、またスパルタに肯定的な意見を持つ人なら、「努力家」、「熱い」、「訓練されているからパフォーマンス力が高い」と答えるかもしれません。

スポ根マンガや学園ドラマ、部活動で青春を謳歌した人にとってはスパルタは必ずしも悪い印象を受ける言葉ではないでしょう。

しかし、SKE48のことを知らない人や、スパルタに対して否定的な意見を持つ人の中には「怖い」、「暴力的」、「短絡的」と解釈するかもしれません。

スパルタときいただけで、体罰、パワハラ、戸塚ヨットスクール事件と、傷害致死や監禁拉致という大罪まで連想する人もいるかもしれません。

戸塚ヨットスクール事件といえばSKE48にもイベントなどでゆかりのある愛知県の美浜で起きた悲劇です。

もちろんSKE48のドキュメンタリーの中にダンス講師がメンバーに手を挙げたという描写はありません。

しかし、この「スパルタ」という言葉から受ける世間の人々の印象を制御することはできないのです。

ここでは「スパルタ」と表現しましたが、それが「過酷」、「厳しい」、「ぶつかり合い」、「体育会系」という言葉でもいいです。

その一つ一つにどういう印象を持つでしょうか。

番組制作者や、それを拡散するファンたちに表現や発信をコントロールする力はあっても、受け取り側の解釈をコントロールする力は持っていないということです。

スパルタ指導のドキュメンタリーを見て感動できるのは視聴者がダンス講師やメンバーのことを知っていてある程度の信頼関係があるからです。

関係性があると厳しい指導はある程度、許容されます。

パワハラが告発されるほとんどの場合は関係性の希薄さからです。

関係性が構築されていないせいで上司と部下、教師と生徒、師弟関係に不満や反感がたまり、不和・刑事告発に繋がります。

その原理は番組と視聴者の間にも存在するのです。

番組(発信者)と視聴者(受信者)の間にある程度の信頼関係がなければ、不理解だけが先行しクレームが起きることになります。

(誤解のないように言っておきますが、被害者が訴えなければパワハラではないというわけではありません。ここでは告訴まで行かないかったり、訴えにくくなったりする状況を踏まえ”許容”と表現しています)

3.スパルタ株式会社の割安株を買い増しするSKE48

この「スパルタ」がSKE48の利益となるためには、日本の社会情勢が「スパルタ」に対する言葉をポジティブに受け取れるようになる必要があります。

それは株を保有するのと同じです。

SKE48は「スパルタ」という株を保有しているのです。

そしてこの株は近年下がり基調です。

SKE48がイメージアップという配当を受けるには世間の「スパルタ」という言葉の価値が上がるのを期待するしかありません。

もしSKE48が大株主のように自力で「スパルタ」という言葉の価値を上げられる発信力があるのであればいいですが実際は難しそうです。

48グループ全盛期であれば秋元康氏もいますし可能だったかもしれませんが今はどうでしょうか。

塾や部活動でスパルタ指導による事件が起きれば、今後さらに急落する恐れもあります。

そこで続けて株投資の例えを用いるなら分散投資という形でそのリスクを抑えることができます。

リスクヘッジとして「スパルタ」以外のアイデンティティーをSKE48が保有することができれば「スパルタ」が今後さらに暴落した際にも損失を相殺することができるでしょう。(私だったら危ない株をあえて持つようなことはしませんが)

以前からSKE48が進めている地元密着型の「名古屋」や竹内彩姫さんや杉山愛佳さんに見られる「キャリアデザイン」に強いアイドルグループなどすでに素晴らしい可能性を持っています。

原点回帰の方策を取るのであれば、同時にリブランディングを推し進め、そこに新しいエッセンスを加えていくことは有効な手段です。

4.運営・番組制作陣の時代遅れの感性との指摘

スパルタ指導はパフォーマンス

このスパルタや体育会系が時代遅れだという指摘は今回に限ったことではなくネット上に散見されるものです。

私は運営も番組制作者もあからさまにスパルタだ、体育会系だ、厳しさが必要だと考えているわけではないと思っています。

それはメンバーに対するマネージャーの対応を見ればわかります。

規制に関しては厳しめですが、メンバーのキャラを売ることに関してそこまでの強引さはなく、メンバーが変わるよりもむしろ元々持っている個性を引き出そうとしている様子が同番組の別回で見られるからです。

ですから実際のところ、ここでこれはパワハラかという問いに対して、その是非を論争するのは馬鹿々々しくもあるのです。

この短い期間でドキュメンタリーを撮るとすればある程度の演出や打ち合わせはあってしかるべきということです。

あえてわかりやすく言いますと、例えばメンバーがメンバーに説教するという迫真の場面があって、

「はいカット―!いい絵撮れたよー」

「そうですかぁ?」

「ここ絶対使うからオンエア楽しみにしててね」

「ありがとうございます!」キャッキャ

なんてやり取りがあるのに、それを知らないファンがあのシーンはどうだ、こうあるべきだなんて議論するのは滑稽以外の何物でもないということです。

こんなあからさまなやり取りはなかったとしても、番組制作者側が事前に「みんなの屈託のない意見をお願いします」とか昔のSKE48の映像を見せて「こういうのをもう一度ファンは求めているんじゃないかなぁ」と言っておけば、メンバーたちはそれに忖度して厳しめの言葉で論じ合ってくれるでしょう。

そして終わった後、「大変だったけど、まあ、これは番組だからさ」と言ってあげればいいわけです。

牧野アンナ氏が自分のダンスができていると思ったら手を挙げてというようなことを言っていますが、あれはSKE48の1期生に投げかけた質問とほぼ同じです。

台本の可能性もありますし、制作陣が暗黙の了解の内に頭の中で共有している構成という可能性もあります。

これはやらせに思えるかもしれませんが、むしろそういうやらせがなければメンタルケアにおいて危ないことですし、ストレスコントロールの観点からやらなければいけないと思います。

そういう配慮がなければ、それはただの安全性を確かめない落とし穴ドッキリと同じです。

事故の元です。

今思えばメンバーの何人かが泣いて途中で声をつまらせていたのは、本当は大好きな仲間にきついことを言い放たなければならない心苦しさからだったのかもしれません。

そしてたとえこれが台本だとしてもメンバーが熱い気持ちを持っていることには変わりありません。

それをわかりやすく表現する場面が必要だったということです。

今のSKE48にも馴染んでいない様子

このドキュメンタリーが真実か否かよりも重要かつ注意しなければならないこと、それは視聴者や外部の人間から時代遅れと受け取られることです。

これまで運営もメンバーもかつての体育会系の負のイメージが忘れ去られるようかなり慎重になっていたように思います。

同期の大切さを感じさせるものだったり、先輩後輩の交流に重点を置いたものだったりこれまでは比較的、メンバー同士の仲良しな場面を写すコンテンツが続いていたからです。

ある公演中にお弁当は先輩から取るのがSKE48の伝統という話題になった際、チームSの副リーダーに任命された上村亜柚香さんが「これからは変えていこう。後輩から取るようにしてみてもいいかも」と言う趣旨の話をしていた記憶があります。

ダンスをまじめに、礼儀正しく、など体育会系のいいところを残しつつ、そこに体育会系の悪い部分である不合理性を取り除こうとしたさりげないアクションだったと思います。

そういうこともありましたので、私としては今回の突然のスパルタ指導の再導入を少し懐疑的な目で見ています。

経験や知識の積み上げによる施策とは思えないからです。

それはちょうど、総選挙をまねたティーンズユニットの投票企画でもあったようなお上からのぶっこみ企画に似たようなものだと感じています。

総選挙も時代遅れと言えば時代遅れです。

メンバーにも運営にもファンにも、これがSKE48のためになるのか、楽しいものなのかと疑問に思っていた人もいることでしょう。

メンバーが苦しんで先輩やマネージャーが慰める。

しかし、CDを売る手っ取り早い方法としてこれを実施するしかなかった。

それが現場を知らないお上からのお達しだったというのが私の見方です。

今回のスパルタ指導についても、不安に思っていた人がメンバーや運営側にも少なからずいたのではないかと推測しています。

反対の人もいたかもしれません。

会社組織なので表立って言える人はいないでしょうが、そういった声なき声があると勝手に想像していますので、ファン側がスパルタの導入にネガティブな感情を持っていることが必ずしもメンバーや運営にとってマイナスになるとは考えません。

そのような考えのファンが一定数いることが分かれば、メンバーも運営も上層部の目先の企画を定着させることなく、積み上げてきた堅実な施策に戻しやすくなるからです。

5.ドキュメンタリー制作には作家の能力が必要

それにしてもなぜこのようなメンバーのバチバチが今回特にクローズアップされるのか。

理由は二つ考えられます。

一つは話題作りです。

公演のプロデューサーは大御所の小室哲哉氏です。

メンツをつぶすわけにはいきません。

新規の取入れに苦戦してきたSKE48としては、牧野アンナ氏のファンを引き込む方が確実です。

昔SKE48のファンだった人たちも気にしてくれるかもしれません。

また、タレントというのはどこの世界でも少し不幸な場面があった方が好感を持たれます。

シンデレラ、家なき子、小公女などなど。

つらい経験というのはそれだけで視聴者が過去の自分の体験や聞いたことのある名作と勝手に結び付けてストーリーを作ってくれるので共感しやすいのです。

それを公演前にわざわざ宣伝目的で使うとするともしかしたら相当な焦りがあるのではとも思ってしまいます。


もう一つは、恐らく取材側の圧倒的時間不足のせいです。

取材力のなさではありません。

時間が足りないのです。

例えばサバンナのチーターの生態をドキュメンタリー映画にしたいとします。

ドキュメンタリーとはいえ視聴者の興味を惹く映像がなければなりません。

しかし、相手は自然です。

縄張り争いや繁殖、子育てなど見慣れた風景は撮れるかもしれませんがそれは予定調和過ぎてすでに他のドキュメンタリ―にもあるものです。

自分の作品に個性を出すには、目新しい事象を盛り込まなければなりません。

一年間、毎日カメラを向けてじっと観察しなければならないでしょう。

何年かかけてやっと1回くらいテレビ史上初の映像が撮れるといった感じです。

野生動物にこうしてほしいと注文することはできないからです。

SKE48ではどうでしょうか。

SKE48のドキュメンタリー作品はいくつかありますが、どれも「何かドラマチックなことが起きなければ」という強迫観念が感じられます。

もしかしたらアイドル達の練習風景や休憩時間をずっと撮っていても番組にはならないと考えているのかもしれません。

バラエティー番組で意識的に相手を楽しませようとしているコンテンツとは違い、普段の生活は平凡なものです。

例えば先生も淡々と指導し、それに従って黙々と練習する映像があるとします。

一般的なドキュメンタリーではそれを本人のインタビューと、解釈を加えたナレーションで補います。

小説は登場人物の"会話文"とそれをつなぐ"地の文"で成り立っていて、それらをどのように織り込んでいくかで質の高さが決まっていきます。

アイドルのドキュメンタリーで言えば、アイドルをはじめとした登場人物が実際に放った言葉だけが会話文に該当し、他の本人の行動(映像)と本人のインタビューとナレーションは全て地の文に該当します。

リアリティーに面白味を出すためにはこの地の文を充実させなければいけません。

現実世界は会話文だけで第三者が理解できるほど単純ではないからです。

実は私はそちらの方がいいです。

メンバー一人一人が何を考えてダンスの特訓をしているのか、もっと時間があればそれを垣間見るタイミングは必ず来ます。

それは突発的な言い合いよりももっと深遠で説得力のあるものです。

しかしそれを実行するには一人に一台のカメラが必要ですし、何なら家まで密着しなければいけません。

「腕の動きが変わってきた」などの観察力や専門性も必要です。

メンバーの何気ない一言や表情の変化が、公演に対する気持ちとどう繋がっているのか読み取る洞察力も必要です。

それには予算的にもなかなか難しいでしょう。

相手は自然ではなく意思の通じ合う人間です。

演出が可能ということです。

それに放映時間も限られているからエキサイティングな場面の方が視聴率が獲れる。

ちょっと厳しい感じを期待すればそれを察して演じてくれるメンバーもいるかもしれない。

番組制作者側が時間の限られた条件で、短時間に視聴者が感動できる場面を撮らなければいけないという構図が、このような少々過激な場面を作り出す要因となっているというのが私の見方です。

彼女たちのすべてが演技と言っているワケではありません。

それは社会性における役割期待に影響された行動と考えられるということです。


また補足になりますが、厳しい指導をせざる得ないシチュエーションを運営、番組側が故意に作っている点も気になります。

それは久々の新公演という大イベントであるにもかかわらず準備期間が極端に短いということ。

かつて牧野アンナ氏はSKE48の初期のメンバーたちに厳しい指導をした理由として、「公演までの準備期間が少なかったためそうせざるを得なかったことについてはかわいそうに思う」といった趣旨の話をしています。

ところがその反省を全く活かさず、またもや少ない準備期間で新公演を行おうとしています。

プロデューサーの小室哲哉氏サイドの音楽提供が遅れたのでしょうか。

これもこの業界だから仕方がないのでしょうか。

しかし新公演の開演時期は一度延期されています。

公演時期を移動できるなら厳しい指導をしなくても完成度の高い公演ができる計画を立てられたはずです。

ダンスではなく心構えのために厳しい指導をしているというのであれば、上記に示した牧野アンナ氏の言い分と矛盾が生じることになります。

これではかつてのSKE48のドキュメンタリーがそうであったように、そのような筋書きが最初からあったと疑われても仕方ありません。

そのメンバーがその筋書き通りに演じなければいけないというプレッシャーから、自分たちの個性を十分に発揮でず、荒い筋書きのままドキュメンタリーが出来上がってしまったように思うのです。

番組なので筋書きがあるのは仕方ありません。

しかし「事実は小説よりも奇なり」。

人が描いた筋書きさえリアルなアイドル達の個性はそれを上回ってくるものです。

そのような一人一人の個性が垣間見えたなら最初の筋書きは捨てるべきですし、最初から個性をつぶしてしまうような筋書きの書き方は避けるべきなのです。

それができるか否かがドキュメンタリーを作る作家の能力ということです。

6.パワハラに聖域はない

芸能界であれ、政界であれ、また教育界であれ行き過ぎた言動があれば問題視されます。

パワハラは刑事事件にもなる深刻な社会問題です。

差別用語を使ったり、「バカ」などの言葉を使えば侮辱罪。

「〇〇しないと〇〇するよ(またはさせないよ)」などと自由、名誉、財産に危害を加えようとすれば脅迫罪。

暴力をふるえば暴行罪。

精神疾患を発症させたら傷害罪です。

パワハラの訴訟実例と勝訴・慰謝料請求する3つのポイント|労働問題弁護士ナビ (roudou-pro.com)

うつ病やPTSD(心的外傷後ストレス障害)などもパワハラによって発症し、場合によっては傷害罪が適用されます。

パワハラを目撃しただけでうつ病になる人もいます。

パワハラを直接受けていなくても、パワハラが発生している職場に勤務しているとメンタルヘルス不調になる可能性が高くなる|ハラスメント対策のクオレ・シー・キューブ (cuorec3.co.jp)

息苦しい世の中、こんなんじゃ何もできないと言われるかもしれませんが、普通は一度、二度、バカと言ったところで訴訟はされません。

パワハラで敗訴になるにはそれなりの過程と程度があることを念頭に置いておいてください。


さて、役者や歌手の練習中に荒々しい言葉が飛び交う場面を見て「プロの世界だから当然」という感覚はないでしょうか。

それでは問います。

あなたはあなたの職業においてプロではないですか?

営業、建設業、医療、福祉、運送業、IT関連、等々。

そのプロの業界においてパワハラは許されるのでしょうか。

次に、「プロ」は芸能界を指す言葉と定義すればパワハラは容認されるのでしょうか。

芸能界も私たちの社会も同じです。

いえ、同じであるべきだという時代が来ています。

そしてプロだからこそそこにパワハラがあってはいけないという感覚まで来ています。

例えばバレエ最高峰と言われるボリショイ劇場バレエ団のソリストであり自身のバレエスクールの指導者でもあるオリガ・キシニョーワさんはプロを目指す子どもたちの教師についてこう言っています。

「バレエというのは、とても厳格で冷酷な教師たちが大声で叫んだり、しーっと言ったり、生徒の腕をつかんだり、叩いたり、暴言を吐いて精神的に傷つけたり...。私も今までに、そういう教師たちと出会ってきましたが、決して、皆が皆そうではないし、また、いつでもそうだというわけではありません。しかし、バレエ教師は絶対にそのようであってはなりません」

バレエ教師はどうあるべきか? (sofia-ballet.jp)

彼女の発言から読み取れるのは、プロのダンサーを育てる教師の条件に、暴言を吐いて精神的に傷つけることが絶対的ではないということです。

それは指導者の個性であって、大声で叫ぶ教師がプロを育てることもあるし、叫ばない教師がプロを育てることもあるということです。

もっとも、牧野アンナ氏のダンス講師としての評価はSKE48初期のころより大分変ってきているとの声が聞こえます。

松井珠理奈さんが卒業コンサート後のインスタライブで「アンナ先生も昔は厳しかったけど子どもができてから前より丸くなった」と以前のSKE48のイメージへの批判からかばおうとするような発言をしています。

本人なりに反省があったのか、かなり表向きに修正してきてはいるようです。

牧野アンナ氏のファンの方は彼女の人間的な成長をしっかりとみてきたことでしょうし、スパルタ指導を是とする人も否とする人も、まだ完全ではないかもしれませんが彼女自身が厳しさを抑えてきているという変化を見習うべきです。

それは同時に、どのような理由があれ、彼女の過去の暴言を擁護するのは適切ではないということです。


2022年、映画監督のパワハラ・セクハラ問題が発覚して報道された際には、物腰の低いことで知られる是枝裕和監督が、他6名の映画監督と共に声明を出しました。

是枝裕和ら6名、映画監督による暴力行為や性加害について声明を発表 - 映画ナタリー (natalie.mu)

なかなか読み応えのある文書です。

一部抜粋します。

「他者を演出するという性質上、そこには潜在的な暴力性を孕み、強い権力を背景にした加害を容易に可能にする立場にあることを強く自覚しなくてはなりません。だからこそ、映画監督はその暴力性を常に意識し、俳優やスタッフに対し最大限の配慮をし、抑制しなくてはならず、その地位を濫用し、他者を不当にコントロールすべきではありません」

そこには微塵も「プロだから傷ついて当然」だとか「芸能界だから厳しくて当然」という言い分はありません。

ですから万に一つでも「小室哲哉が楽曲提供してんだぞ!生ぬるいことやってるとSKE潰れるぞ!」なんてメンバーたちに圧力をかけてはいけないわけです。

そういう時って大抵、経営側の生ぬるさが原因であることの方が多いです。


皆さんには大工などの職人は気難しくて怒りっぽいというイメージがあるでしょうか。

私の経験上、怒りっぽい人もいれば穏やかな人もいます。

大抵はケンカ嫌いで平和主義者です。

引っ越し業者に荒っぽくて乱暴というイメージがあるでしょうか。

暴言暴力をふるう人もいますし、決して感情的にならない紳士もいます。

福祉関係の仕事は人権尊重を最優先するべき場所です。

そこで働く人たちはみんな優しいと思いますか?

これもストレスフリー、ストレスコントロールを上手に運営している施設もあるかと思えば、一方でやりがい搾取と陰湿ないじめ、利用者への虐待が蔓延しているところもあります。

私たちは知らない世界のことを極端な情報に左右されがちです。

私たちのイメージする芸能界の厳しさは、そこに携わる一部の関係者のイメージであり、全員がそうではないということです。

むしろ私たち一般人が芸能界をある種の聖域と思い込んでいたことで、このような善良な価値観をもって演者と接してきた映画監督たちが肩身の狭い思いをしてきたのが昭和、平成の時代といったところでしょう。

そしてプロの世界だからこそ、短期的な利益を求めて人材を使い捨てるようなことをしてはいけないと思います。

道具と仕事、仲間とお客さんを大切に扱うのが本当のプロです。

こちらの映画監督らの声明は、アイドル運営者と番組制作者にも当てはまるものです。

ダンス講師にしろテレビ関係者にしろ、なぜ今になってこのような物腰の柔らかい方法をとる価値観が存在感を増し、さらに主導権さえ取れるようになったのか。

それは偏に、多くの人が成長に暴力性は必要ないということに気が付き始めたからなのです。

暴力性は自己流や手探りの状態で発生します。

何が人の成長に大切なのか、そして人を壊してしまうのか、科学的に検証が進むとそれがシステム化され暴力などの無駄なものが排除されていきます。

そして根性論のようなスパルタ指導でなくても教えらる人材が育ち、必要とされるようになるのです。

将来、暴力性の先行するスパルタ指導がスポーツ界でドーピングのように扱われる時代が来るかもしれません。

それは(これはYouTubeをはじめとしたSNS関連の方が先進的ですが)芸能界でのスパルタ指導が放送法にも抵触する時を意味しています。

7.メンバーをスパルタキャラに改編する危険性

時を同じくしてスパルタキャラで有名なマナー講師平林都氏がNHKの番組で厳しすぎる指導によって炎上しました。

「チコちゃん」出演の鬼マナー講師が炎上 スタッフ泣き出し「あんたが下品」「気分悪い」 (msn.com)

この方は「SKE48のへーきん!」にも出演されていました。

その時も間髪入れずの鋭い指摘でしたがそこまで不快には思いませんでした。

青海ひな乃さんがマナー講師に物おじせず愛嬌たっぷりに接していたところが面白かったですし、すごいなぁと思わせてくれました。

どこかのレストランで、風呂敷に包んだお土産の渡し方という課題がメンバーたちに出されたとき、青海ひな乃さんは大胆にもテーブルにお土産を置き、その前にひざまずいて講師に向かって風呂敷を広げ「じゃじゃーん」って言ったんですよ。

笑顔で(^^;

そしたらマナー講師もつられて手を広げ「ジャジャーン」という。

YouTuberでもいっぱしのタレントでもなかなかできない。

しかもマナー講師まで愛嬌たっぷりに見せてしまう。

鬼のマナー講師のおちゃらけた部分まで引き出してしまう。

青海さんにしかできません。

今回のNHKの番組ではマナーを指摘された番組スタッフが追い詰められて泣いてしまったこと、そして平林都氏の厳しさだけが強調されマナーを守る意義や氏の人間的な部分が分かりずらかったこと、そしてそれらを印象付けた編集の不備、またNHKの視聴者層などにも批判の要因はありそうです。

SKE48の番組とは視聴者層が違いますし、視聴者数も段違いでしょう。

ですからそういったスパルタ気質を嫌う人が多く炎上しやすいというのがあるかもしれません。

もちろん、今回強調されてしまったマナー講師に対する不快さはSKE48のダンス講師のスパルタ指導への不快さとは質が異なるところがあります。

マナー講師には「食べている本番最中に行き当たりばったりで注意するな、ちゃんと教わる機会を作れ」という理不尽に対する批判があります。

ダンス講師の場合、ステージ上で怒鳴っていたら同じですが、今回は練習中ですので指摘自体はあって当たり前です。

とはいえSKE48のイメージを守ることについていえば全く参考にならないとも言えません。

こういうスパルタ的な映像を切り取られて公開され、それが何らかのきっかけで拡散されることがあれば、炎上騒動にならないともかぎらないからです。

かつて松井珠理奈さんがメンバーたちに厳しい口調で訴えた映像が攻撃対象となったことがあります。

SKE48単独ではおそらく内輪で終わっていたと思いますが、当時隆盛を誇った乃木坂46と欅坂46を敵視した場面が入っていたことにより拡散力が生じたと思われます。

そもそも乃木坂46も欅坂46も「AKB48の公式ライバル」と銘打って登場したわけですから、松井珠理奈さんは何も間違ったことは言っていないわけです。

むしろプロデューサーの秋元康氏をはじめとする運営側の置いておいた仕掛けを上手く使ってくれた、大人の代弁的発言でした。

しかし視聴者側はそういった細かすぎる仕掛けには反応できません。

どこが最初にできて、別れて、勢いがある等々、各グループの相関図なんてかなりマニアックなネタです。

普通は第一印象だけで判断します。

「自分の推してるグループが批判された、許せない。嫌い」

それだけです。

このように現時点でその映像一つに炎上要素が見られないとしても、何かのきっかけで結びつきが生じ、それが事実無根であっても世間の受け取り方によって大きなイメージ低下を招くことはあり得るのです。

またSKE48のファン界隈でも、例えば誰かが卒業したとか、休養したとか、故障したとか、メンバー間に不仲が起こったとか、そして自分の推しにその危害が加われば、今までスパルタ指導に感動し是認していたファンも「やっぱり間違っている」と豹変することも考えられます。

それに因果関係がなかったとしても、そう疑われるだけでファンが離れる要因になり得るのです。

恐らく今後は、リーダー格のメンバーに優しい印象を持てる映像や、メンバーたちの仲睦まじい映像、公演の達成感をメンバーがともに味わう映像を強調することによって"時には"厳しくすることも必要だったと納得してもらえるように、演出として一時的に必要とされたあの過激な場面を中和する措置を施していくことでしょう。


炎上というのは非常に不確実性の高い問題です。

燃え上がる時も鎮火する時も神のみぞ知る。

毎日同じ発言をしているのにある日突然炎上することもあります。

昨今ではメンタリストDaiGo氏がホームレスへの差別発言で炎上した後、YouTubeの視聴回数にそれまでの勢いがなくなってしまいました。

著名人とのコラボなどで挽回を試みていますが再生数は戻っていません。

アングラのイメージはぬぐい切れず、地上波としては使いにくいでしょうし、スポンサーが離れたことから知名度の上昇という相乗効果も期待できません。

世間の価値観とのずれで生じる一番の損害は、スポンサーから扱いづらいと思われることでしょう。

コアなファンだけが残り、残ったファンも他人とは共有しずらいので自分だけで楽しむコンテンツとなり、拡散力、流行性を失います。

松井珠理奈さんも、マナー講師も、メンタリストも、最初からそんな人だったのかと思うと違う道を歩む可能性も十分ありました。

「内輪でウケて調子づき、外の世界でフルボッコ」がこれまでの失敗例の共通点です。

肯定的な100のツイート、1000人の視聴者、それはファンだから当たり前です。

そこで方向感覚を失い世間との感覚のずれに気づかなくなると、1万人、10万人から批判を受けることにもなりかねません。

そのように炎上する要因は本人だけにあるのではなく、それを求めた運営や番組制作者、またファンにもあると思っています。

責任ではありません。

ここではあくまで要因という言い方にとどめておきます。


タレントというのは人に受け入れられるのが仕事です。

毒舌キャラだろうが、天然キャラだろうが求められたことができなければ仕事を失います。

プロデューサーが期待していることをするしかありません。

番組の求めていることをしなければなりません。

ファンが求めていることをするしかないのです。

例えカリスマと呼ばれていてもファンを敵には回せません。

意外に思えるかもしれませんが世の中の多くのカリスマは次第にファンに主導権を奪われていきます。

最初はファンはカリスマの言いなりです。

カリスマと目が合っただけで、同じアクセサリーを付けただけでドキドキワクワクで刺激たっぷりだからです。

しかし次第にその刺激にも慣れていきます。

するとファンはもっと刺激が欲しいと言います。

カリスマはファンの要求に応えなければカリスマ性を失います。

カリスマはファンに刺激的なことを提供するためファンの要求をのみます。

これで逆転するのです。


今回のアイドル達の強い口調はファンが求めていたことだったかもしれません。

ファンにとっては久々の強い刺激です。

でもそれをさらに求めるでしょうか。

アイドルは本当は可愛くてきれいだと言ってほしいかもしれません。

スパルタキャラという印象は持ってほしくないかもしれません。

それは本当に一時的なこととして忘れてほしいかもしれません。

今はそうでなくてもそういう時が来るかもしれません。

SKE48は長い歴史の中で他のアイドルグループには絶対に真似できないデータの蓄積があります。

酸いも甘いも噛み分ける経験値があるはずです。

ベンチャーにはベンチャーの、老舗には老舗の戦い方があります。

私はSKE48が末永く続くことを願ってベンチャーと老舗の狭間にあると評価しています。

その狭間の中で、アイドル達が見せてくれたような議論が大人たちの常識に対して本当に実現されることを願っています。

今回、運営や番組制作者は、牧野アンナ氏の熱血指導とメンバー同士のぶつかり合いという一時代前のSKE48のワンシーンを踏襲することを許しました。

それが最善の道だと結論付けたのでしょう。

原点回帰の点については成功とみていいでしょう。

そして潜在的な新規の獲得に一部の成果は得られるとも思います。

ただ、私は思うのです。

あの鬼のマナー講師と呼ばれ、今世間から嫌われてしまっている平林氏をも、持ち前の度胸と愛嬌でおちゃらけさせてしまった青海ひな乃さんなら、鬼のダンス講師と呼ばれネットで嫌悪感を書き込まれた牧野アンナ氏をもそのイメージの呪縛から解き放ってくれたのではないかと。

ストイックさをキラキラに見せられるありのままの青海ひな乃さんなら、スパルタはもとい体育会系のいい面をを引き出して、かつての行き過ぎた演出でファン離れを起こしたSKE48に新規を引き寄せるリブランディングと古参を活気づける原点回帰の両方の実現をもたらし得た可能性があったのではないかと。

仕事の上での本当の"厳しさ"とは、どんなに業績が不透明で不安に駆られても、人を信じ、人に託し、人を尊ぶことなのです。

運営と番組制作者は、はたして青海ひな乃さんのこの唯一無二の個性を信じられたのか。

それがこの結果なのか。

これらのことを彼女とSKE48を愛するすべての人にへりくだって申し上げます。

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