河野太郎氏の騒動で学んだマネジメント理論
■パワハラでなくても傷害罪になり得る
2021年の自由民主党総裁選挙で存在感を示した河野太郎氏。
決選投票の末、惜しくも岸田文雄氏に敗れ、自民党総裁及び内閣総理大臣になれませんでした。
総裁選の前にも話題になった「日本語わかる奴だせよ」という官僚とのやり取りはパワハラと批判されました。
それが総裁選に影響したかはわかりませんでしたが、彼の人となりを垣間見る一つの材料になったことは確かです。
ただ河野氏と官僚の関係は上司と部下ではないのでパワハラに当たらないという見方もあり、私もそちらの意見に賛同します。
強い口調だからとか相手の意見を否定したからだけではパワハラにはなりません。
パワハラの本来の定義は厚生労働省によると、
- 優越的な関係に基づいて(優位性を背景に)行われること
- 業務の適正な範囲を超えて行われること
- 身体的若しくは精神的な苦痛を 与えること、又は就業環境を害すること
とあります。
端的に言えば上司が持つ出世や給料、権限などのせいで部下が自由に意思表示できない状況下において、上司が好き勝手して部下の人権を侵害することです。
ですから親が子どもに逆らえないような環境を作って危害を加えることをパワハラとは言いません。
それは児童虐待に類するものです。
友人関係でもパワハラにはなりません。
もし友人関係で危害を加えられた場合、あまりにもひどければそれが心的であっても傷害罪で立件される場合があります。
河野氏の場合は、パワハラには当たらないかもしれませんが傷害罪になる危険性はあります。
そういうことでパワハラでなければ犯罪ではないという考えもまた違うということは念頭に置いておいた方がいいでしょう
■河野太郎氏はいい人かもしれない
総裁選の前に河野氏の人となりを知れる特集がありました。
テレ東BIZのYouTube配信です。
これを見ると河野氏は取材陣に淡白に接する面はあるものの、農業や幼稚園など現場の人たちには同じ目線で話し、耳を傾けるなど人情味のある人という印象を受けます。
報道や官僚との会議でエラそうな態度やパワハラ的な言動が目立ったのは、日ごろの関係性のせいでもあるかもしれません。
決して言い訳にはなりませんが、例えば報道陣や官僚が思想の面で相反するものであったら、故意に無駄と思える質問や批判、サボタージュなどで煽り、河野氏のそういったイライラを引き出すこともないとは言えません。
そして、世間的に問題とみられそうな映像や音声を撮ってメディアに流し、彼のイメージを損なうことも考えられます。
河野氏も河野氏なら、相手も相手だということです。
■目標設定に「以上」を使うのは不適切
ところであの会議で議論されていた以上か程度かの目標設定を国際基準に照らしてみるとどうなるのでしょうか。
COP21の「パリ合意」に向けた、各国の温暖化対策目標案の提出状況 |WWFジャパン
ほとんどの国が目標値の前に「少なくとも」という文言を入れています。
この少なくともという言葉が、できればとか最低でもというニュアンスに聞こえてしまう人はいるでしょうか。
元々は英文で"an unconditional target"という言葉が使われていて、それが訳されて少なくともになっています。
[unconditional]
conditionが条件という意味ですから、unconditionalは無条件に
つまり「少なくとも」は無条件に、絶対的に、言い逃れなしにというかなり強い意味なのです。
それを踏まえて各国の目標設定を見てみると、理詰めで考えられていたその国が精いっぱいの努力で何とか届くだろうと設定した値、これ以上はできませんくらいの高い数値と言えるのです。
ですからもし目標に"以上"がつけられた場合の印象は、「以上?それ以上できそうだと思うんだったらやってくれよ。本気出せよ」という感じになってしまいます。
Inclusion of adaptation in Mexico's climate commitment, sets the pace - WWF | WWF
皆さんも、会社の会議などでノルマの設定をする際、「以上」を使ってはいないでしょうか。
多ければ多いほどいいことは確かなのかもしれませんが、それはある意味、精神論的でロジックを欠いた目標設定になっているかもしれません。
「以上」を目指す前に、「最低限」まで辿り着く道筋はできているのか見直す必要があるということです。
例えば最近見つけたお金を貯める方法の記事にこう書いてありました。
「人は増やせるだけ増やしたいとどん欲になったり、一度は増やせてもそれを失う恐怖にかられたり、ばくぜんとした不安でお金を動かせなかったりします。」
「1000万円つくれる人」は「1億円もつくれる人」 (msn.com)
これは「以上」を目標設定に組み込んだ場合、例え達成したとしてもそこでその場の状況や達成できた理由の精査をおろそかにしてしまうことも示唆されていますし、目標達成を運任せにしてコントロールできなくなると教えているのです。
そして、目標達成だけに意識が向かい何のための目標だったか目的を見失っている状態です。
また同記事はこういっています。
「プロセスを持たずに商品探し、銘柄捜しに明け暮れる人は、たまたま儲けることができても、それを繰り返すことができません、法則性がないから再現性もありません。」
目標達成と同じくらい大事なのはしっかりとしたプロセスを構築することのようです。
なぜできたのか根拠を示すことは、次に挑む新しい課題に対する力にもなります。
どんなに小さなプロジェクトでもそこで得たノウハウは大きなプロジェクトでも応用できます。
もし失敗したとすればそれはロジックではなくタイミングや運が良かっただけということです。
それに人数が増えれば増えるほどプロジェクトに参加している一人一人に目標の意味と目標達成までのプロセスを理解してもらう説得力が必要です。
「以上」自体に害がなくても、「以上」が可能な条件と最低限に達する条件の違いを理解し説明する必要はあるでしょう。
本記事を書いている間に「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということわざが頭に浮かび調べていたところ 【ことわざ】二兎を追うものは一兎をも得ずは本当か?勝者の力量とは について考えてみました。
0 件のコメント:
コメントを投稿