「二兎を追う者は一兎をも得ず」は本当か。
■難癖をつけられることわざ
昔はウサギを捕まえて食べていたそうだ。
現代の日本ではそんな習慣はほとんどなくなってしまったが、それでもよく使うことわざ「二兎を追う者は一兎をも得ず」。
兔が何かわからなくても何となく意味が分かるから使いやすくもある。
ちなみに私は中学生くらいまで一兎を一頭と聞き違えて覚えていた。
"欲張って二つの物事に取り組むとどちらも失敗して結局は損をする"と自分の中では理解している。
正しくはこちらの辞典を参照してください↓
二兎を追う者は一兎をも得ず - 故事ことわざ辞典 (kotowaza-allguide.com)
そうはいっても私たちは生活の中で同時に二つのことをやらなければならないことはよくあるし、それが必ずしも失敗しているわけではない。
そんな実体験からこんな派生語も生まれている。
「二兎を追うものだけが二兎を得る」
マールボロのパッケージに書いてあったキャッチコピーらしい。
印象としては、かっこいい、ダンディ、ワイルドといったところだろう。
これが真実だというのならこちらもあり得る話である。
「一兎を追っていたら二兎を得た」
営業なんかで芋づる式に顧客が増えていく場合もある。
棚から牡丹餅ということわざがすでにあるけれども。
運も実力の内というがそんな強運の持ち主にもし科学的根拠があるとすれば、そういうのに出くわす環境に身を置いているということもあるかもしれない。
だからそれを突き詰めていけばこんなこともある。
「一兎をも追ってないのに二兎を得た」
中国の逸話からできた「待ちぼうけ」という歌。
ある農民が、ウサギが切り株にぶつかって死んでしまったのを見て、おいしかったから働きもせずまたウサギをとれる機会を仕事もせず待つようになった話である。
本当にこんなことがあったのか知らないが、この歌以外聴いたことがないからすごく珍しいことなのだろう。
そうはいっても私たちの私生活では割とありそうな話ではある。
ことわざ通りに一兎を追うのが一番利口なのかもしれないが、一番悲しくもなかなか頻繁に起こっているのは「一兎しか追ってないのに何も得ず」かもしれない。
そうすると結局は一兎を追って得られるくらいのものは二兎を追っても得られるような簡単な出来事だった可能性もある。
■結論
二兎を追ってもいい、しかし勝者とは常に「二兎を追うものは一兎をも得ず」という状況か否かを判断できる人である。
つまり課題の難易度と自分の力量を正確に見極める裁量を持つことが肝心なのだ。
本記事を 【河野太郎】パワハラではない?目標設定に「以上」は適切か を書いていた時に起草したものです。
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