愛かお金かではなく、理解か価値観か
■深い議論を始めるアイドルたち
あなたはどちらだろうか。
お金と愛、どちらが大切か。
私は「え、愛に決まってんじゃん」という考えだったから、お金と答える人に対して冷たさを感じてしまった。
そしてお金と答える人のことを冷たいと感じる反面、正直だなという印象も持った。
自分のイメージが下がることを気にしないのかな?と。
その時ふと私の「愛が大切」という思考にこそどこか詭弁はありはしないかと自問するに至った。
私の掲げる愛にこそむしろ人をやり込めたり、世間体を取り繕おうとするようなずるさがあったのではないかと。
YouTubeで配信されていたSKE48の番組でこんなテーマを取り扱っていた。
結婚生活ときたら恋愛の成就ともいえる。
だから仮想的な恋愛相手であるアイドルとファンの間に価値観の違いがあればそれはショックなことだろう。
しかし、ここで推しがお金を選んだからと言って価値観が違うと判断するのはまだ早い。
価値観の違いではなく、言葉の捉え方や理解の仕方の違いである可能性がまだ残されているからだ。
ここで簡単に説明させていただきたい。
■お金派がこだわる"結婚生活"
冒頭で熊崎春香さんが言っていたように、まず今回のテーマの場合、単なる人間関係ではなく結婚生活という条件が付いている。
友達の関係、恋人の関係ではないところは重要である。
結婚に関してお金を選んだ人が同じように友達関係にも金のあるなしで選ぶとは思えない。
また、恋人と結婚相手に求める条件が違う場合もある。
この場合、友達や恋人に求めるものは安心感や一緒にいて楽しいという感情的なものかもしれない。
褒めてくれたり、相談に乗ってくれたり、共感してくれたりと精神面の支えが大きい。
逆に自分が相談に乗ったり、一緒に遊びに行きたい人かもしれない。
しかし結婚は違う。
家賃を始め、もろもろの生活費が必要になる。
一般的な考えとして子どもを産んで育てるという家庭像を描いている人も多いだろう。
子どもの学費には大学を卒業するまでに1,000万必要であるといわれている。
すべてお受験や医療系、芸術系の大学に進学すればその額はさらに上がる。
SKE48のメンバーたちは小さなころからピアノやダンスなど習い事をしていた人も多いようだから自分の子どもにも同じように塾の他、習い事をたくさんさせてあげたいと思うだろう。
この学費や習い事に関する金銭感覚はもしかしたら、彼女たちの親御さんから影響を受けたものかもしれない。
つまりお金がかかる子育てを親御さんが一生懸命仕事をして稼いできたお金から工面してもらっていることを身に染みて感じているのかもしれないということである。
アイドルとして生活するにもお金がかかることだから応援しながら養ってくれた親御さんへの感謝は人一倍だろう。
そういったことで単なる友達恋人と結婚との関係性に分けて考えた場合に出てくるキーワードは前者は欲求であり後者は必要性なのである。
そのような考え方が基盤となっていれば、反射的に結婚生活だから愛だけじゃダメ、お金は重要ときてお金を選んだ可能性は十分に考えられる。
また、お金を選んだとしても愛を全否定していないところも見逃してはいけない。
彼女たちは決して「お金があれば愛はいらない」とは言っていないのである。
■お金派は愛が大切だからこそ最後にする
次に愛という言葉の捉え方に焦点を当ててみよう。
大学生たちのディベートでこれとよく似たテーマでの話し合いがあった。
20代前後であっても面白いほどきれいに別れるのである。
割合としてどちらが多かったかは覚えていない。
しかしお金を選んだ人は少ない数ではなかったことは確かだ。
愛か金かで議論すると本当に結論が出ない。
そしてその話し合いでの学びは結局、相手の意見を受け入れ、時には折れることも大切であるということになる。
議論自体の答えではないのだ。
愛が大切であるという人の主な考え方は、お金がなくても愛があれば何とかやっていけるし幸せだというものだ。
私もその考えだったからお金よりも愛でしょの一点張りだった。
しかし、よくよくお金の方が大切という人の意見を聞いてみると、これは激しく長いディベートの末にようやくつかんだ理解であるが、それはそうかもしれないと思うことがあった。
それゆえお金派の佐藤佳穂さんの指摘は鋭い。
「お金がないけど愛がある人って、愛があるように見えて実は自分が一番大事っていうのが見えちゃうのかなって思って」
つまりお金が大切という人の主な考え方はこうだ。
愛って何ですか?
愛してるっていえばいいと思ってるんですか?
それは言葉だけじゃないですか?
愛してるって言葉、便利に都合よく使ってないですか?
少しつかめただろうか。
愛よりお金が大切だといった大学生の面々は愛を、愛という言葉という範疇にしか考えていなかったのだ。
そしてこれは別に悪いことではない。
むしろ私は感心した。
そして反省した。
愛をもって接するよう努めていたけど、本当に相手を幸せにしていただろうか。
愛が大切というほど実際に何かやっただろうか。
愛とは何だろう。
私の信じている至高の愛について私自身も理解しておらず、ただ愛は素晴らしいものだと人伝に聞いたことをうのみにして言い回っているだけではないだろうか。
愛がたとえ相手の心を癒したとしても、それは私たち人類が歴史の中で愛はこういうものだと決めつけてきた概念による癒しであり、私自身の愛による癒しではないのではないか。
そして大学にはこういう人もいた。
優先順位としてはお金が先。
愛はその後にやってくる。
愛は至高であるがゆえに、簡単に表せるものではなく、理解できるものでもない。
大切な人のためになら働くだろう。
お金を稼ぐだろう。
必要に応じてお金を使うだろう。
そして瀕したり窮したりしたら惜しみなくお金を与えるだろう。
そうやってお金を"捨てる"時、ようやく愛に到達することができると。
お金派の熊崎春香さんはこう言っている。
「愛が大切っていうのはわかっているんです。もちろん大切なのはわかっているんですけ どお金がないとピリピリしてきてだんだん仲が悪くなっていってしまうと思う」
これは愛のためにお金が必要というニュアンスである。
例えばイチゴを苗から育てて実を収穫することを最終目的とする。
育てるには毎日の水やりともろもろの手入れが必要である。
私たちはその他どんな手段を用いてもイチゴの実をならすことはできない。
逆を言えば毎日水やりして手入れしていれば自ずと実はなるのである。
だからお金を稼いで家計を整えていれば愛は自然と実っていく。
むしろそれで愛が生まれないほど難しい人であればそんな人とは夫婦になれない。
別の見方をすれば、
愛なんて大それたものはいらない。
ささやかな優しさがあればいい。
愛なんて照れくさい。
一緒に楽しく暮らしたい。
愛とは言わず、十分なお金をもらって一緒に遊園地や映画館に行こうよ。
と、言ったように愛に対してそれほど執着がないか少し遠い存在に感じている人もいるかもしれない。
それは単に愛という言葉の定義と解釈が違うだけなのである。
これはまたしても熊崎春香さんが非常に的確な表現を用いて説明してくれている。
「私はお金っていうんですけど、めちゃくちゃ大金持ちになりたいと考えてはいないんですよ。普通の幸せな家庭だったらいいなっていうのでお金かなって」
熊崎春香さんが相手に求める年収として500万だそうだ。
40代の年収の中央値が400万ちょっとであるから鎌田さんの「500万は高い」という指摘は的を射ているが、女性の約5割が相手に求める理想の年収が400万から800万であることを考えると決して熊崎さんの価値観が世間と乖離しているわけではない。
だから彼女の言った500万というのは自分の育った家庭の価値観か、もしくは自分の年収を基準に考えてそれよりより高い数値ということなのかもしれない。
そうするとお金派イコール拝金主義という訳でもない。
むしろ金銭感覚において常識的な価値観を持っている育ちのいい子といった感じだ。
今回のアンケート結果でお金派に名前が載っていた坂本真凛さんも、ティーンズユニット(現プリマステラ)で勝つために膨大なお金がかかることを気遣い「ファンの人たちにお金を使わせたくない」と投票への呼びかけに躊躇していたことは記憶に新しい。
結論として、お金を選んだ人たちはある意味、言葉の捉え方が理性的で、相手にも自分にも誠実であるといえる。
彼女たちはお金を相手に求める資質として考えているのではなくあくまで結婚生活に必要な家庭のものという認識でいるからだ。
その証拠に、自分たちで稼ぐお金のことでもあるともいっている。
また、お金派は人を信用することには慎重かもしれない。
ある意味、他人と壁を作ることではあるけれども、それはその人にとっての礼儀であって、土足で他人の領域に踏み入らない、一線を越えないという秩序であり遠慮深さでもある。
逆に愛を選んだ人たちは一般的に言葉の捉え方も人間関係についてもアバウトで相手を信じやすいという特徴があるともいえるだろう。
■愛派の反論
はたごんこと髙畑結希さんは生粋の愛派だなと思わせる。
これを説得するのは非常に難しいだろう。
おそらく理論で納得してもらうことはできない。
損得にはおおらかで、ある意味無節制でもある。
しかしそのデメリットをもものともしないくらい愛を信じている。
唯一理論的だなと思えたのは「愛はお金を稼ぐモチベーションになる」というものだ。
お金の起源が愛という体制にすれば、ディベート上は有利になる。
見どころは須田亜香里さんと鎌田菜月さんが非常に高度なロジックでお金派を論破していくところである。
「お金さえあれば好きじゃない相手でもいい?」
須田亜香里さんのこの問いにお金派が肯定すればそれは結婚に至るまでのプロセスを否定せざるを得ない。
そして「お金が無くなったとき愛がなければ別れる」という論調も潔い。
お金よりも上手に、愛さえ扱おうとするとはさすがである。
彼女は愛の都合のいい面だけでなく、厳しい面を持ち出すことによって、愛派の論拠をさらに強めているのだ。
何しろ、おそらくSKE48メンバーの中で一番お金を稼いでいる須田亜香里さんが愛を選んでいることは言葉だけではない説得力がある。
お金を第一にして浮気した場合、「愛はお金と同時に去ってしまうから結局は愛かな」という鎌田菜月さんの指摘に返答できる人は誰もいない。
私なりに言い換えると、お金の起源をたどり、お金がなかった時代には愛しかなかった。
だから愛が一番大事であるというような論である。
ちなみに頭がよく理論的で大人っぽい印象を持つ鎌田菜月さんは、雰囲気的にお金を選ぶと思っていたから意外だった。
しかもその理性と弁舌をもって、あえて目に見えない形而上のものである愛を弁護する姿はカッコいい。
頭のいい人は現実的で無神論者になりがちというが、その頭の良さをもってあえて概念的なものの証明に挑戦する。
昔の哲学者のようである。
それでも熊崎春香さんの「お金がないとピリピリする」という発言に「えーっ」と驚いた様子を見せていたのは何だか意外だ。
鎌田菜月さんは表向きは常識的な社会人だが、中身は髙畑結希さんのような純粋無垢で一途なお嬢さんなのかもしれない。
ただ愛派がこの議論で有利になるためには、しばしば極論を使わなければいけない傾向にあることが分かった。
だが現実には今現在お金が必要な社会に生きている。
愛を擁護するための極論は、論としては強いがどうしても非現実的になってしまう。
佐藤佳穂さんの「愛は家族や友達、ペットからでももらえる」という発言は一見結婚生活に対する失望感を思わせないでもないが実際問題そういうことは日常的に起こっている。
お金派の論調はありのままの私たちなのだ。
■お金を愛するか、お金で愛するか
そういうことで、野村実代さんのどっちもという選択は優柔不断に見えて一番私たちの生活ぶりを表している答えということになる。
私たちの暮らす現代社会において愛とお金は切り離せないものになっている。
愛からお金が切り離せないのだ。
野村実代さんは以前同番組で洋服や美容代に月10万使っているということで話題になった。
しかし、それはファンのためでもあるし、ファンに公言しているアイドルとモデルを両立できる人材になりたいという目標のためでもある。
資格を得るためには塾に通うだろうし、特技を得るためには教室に通ったりする。
多趣味の人がそれだけお金がかかるように、仕事上でも目標が高く複数狙っていればそれだけお金がかかる。
愛によって手をつなぐ。
愛によって抱きしめる。
愛によって優しい言葉をかける。
愛によってブローチを贈る。
ここでブローチ購入にお金がかかったからと言ってそれはもう愛ではないとは言えないだろう。
さらに優しい言葉はお金のかかる教育と教養によって身に付き、
抱きしめる場所はお金を払って権利を買っているのであり、
手をつなぐ力は日々の食物と健康を保つためのお金で成り立っている。
愛とお金、もともとは別々のものだった。
別々のものだったけれど、私たちがお金の必要な社会を受け入れ、そこでお金を何かに使った時点で、つまり服を買った時点で、ケーキを買った時点で、ドライブに言った時点で、それはもう一体となって離れないものになっている。
どこからどこまでが愛なのか、どこからどこまでがお金なのか、それはもう私たちが個人的に判断しているだけで、クッキーを小麦と卵に分けて食べようとしているようなものなのかもしれない。
結婚という共同生活において私たちの心が求めたり許容できるものはつまり共有であるといえる。
お金を愛するか、お金で愛するか。
これはお金が目的なのか手段なのかを問うている。
前者であれば人の価値観は千差万別は言え何らかの説教を誘発しないとも限らない。
しかし後者であればそれは愛をより具体的にした現実論である。
上記の文法を拝借して愛に替えてみる。
愛を愛するか、愛で愛するか。
前者であれば自己満足と捉えられかねない。
後者であればお金よりもエピソードに自由度を与えた理想論である。
"お金を"や"愛を"では結婚になかなかふさわしくならない。
そこで"お金で"や"愛で"という表現を正しいと結論付けた時、お金で何を愛するのか、愛で何を愛するのかが重要になってくる。
いったい"○○を"の目的語には何が当てはまるのか。
それはつまり"パートナー"もしくは"あなた"あるいは"子ども"になるのである。
そして本当の意味での究極の選択は"愛かお金か"ではなく"お金かあなたか、愛かあなたか"ということになるだろう。
このようにしてようやく愛かお金かの議論は、私欲・自己愛という共通の敵を明るみに出したところで終結を見ることになる。
■質の高いディベート動画
愛か金か。
普段、そのようなことで意見を戦わせることはないから面白い。
本番組の動画は短いながらも私が大学や様々な場所で見てきた論調をほとんど網羅しているから質の高い議論であったと感じる。
例え一体となっている愛とお金でも、たまには因数分解してその起源も含め細かく議題にしてみるのも悪くない。
そして、愛派もお金派も、議論する場がなければ特に他のことで意見がぶつかるわけでもなく楽しい仲間でいられることは自分の経験上、間違いない。
だから愛派がお金派と相性が悪いかと言われればそんなことはないし、むしろ自分にないところを補えるバランスのいいカップルになる可能性だってある。
夫婦になって考えが変わることだってあるだろう。
とはいえやはり愛派の人間としては、あからさまにお金優先と言われると寂しい感じがぬぐえない。
何か評価されているようで。
そういうことで、私の、なんというか、その、、、私の推しの赤堀君江さんは愛を選んでいたので、、、とりあえず良しとする!w
(ちなみに愛派のきみえさんもノリで「お金持ちになりたい!」といったこともあったのだから、決して愛かお金かの単純な表明だけでその人となりや価値観のすべてを表しているわけではないということは心に留めておかねばなるまい)
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