ホリエモンの「寿司職人何年も修行するのはバカ」に職人が思う事

2022年4月14日木曜日

社会

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修行年数よりもセンスが大事?

職人稼業に年月が必要なわけ

一時期話題になったホリエモンこと堀江貴文さんの言動について書いていこうと思います。

思い当たる記事には彼が「寿司職人が何年も修行するのはバカ」と言ったとされています。

ホリエモン「寿司職人が何年も修行するのはバカ」発言 数か月で独り立ちの寿司はうまいか?: J-CAST ニュース【全文表示】

「飯炊き3年、握り8年」というのが寿司業界の伝統らしく、いっぱしの職人になるまでおよそ10年以上は要するということです。

飯炊きに3年かかりますか?

握りを覚えるのに8年かかりますか?

何回やると思ってるんですか?

まあ、確かにこんな疑問が浮かんでも仕方がないと思います。

指導する方が集中的に教え込めば、そして教わる方が的確に覚えて行けばそんなにかかるわけないだろうとするのもわかるような気がします。

堀江さんは誰もが認める成功者ですし、受刑中も紙袋を折る作業を自分なりに工夫するなど自律性が強いためこういった長々とした修行が無駄に思えるのでしょう。

私もそんな風に思っていたことがありました。

私は結構堀江さんの言葉にシンパシーを感じることがあります。

ただそれは中学生の頃の私にです。

もちろん私が堀江さんを知ったのは社会人になってからですが、中学生の頃の自分を考えるとこんなことを思っていたなぁと振り返るのです。

こういったある意味純粋で率直な考えが、複雑かつ配慮なしでは生きられない世の中で受けるのかもしれません。

かくいう私もどの職種でも仕事の成績はまあまあいい方でしたし、コツをつかむのも早い方で半年もあればベテランを数字上抜かすことができる経験を何度かしてきました。

そして、人間関係に配慮して遠慮したり仕事のスピードを落とすことに無駄を感じることがありました。

また、パワハラなどの何の生産性もない言動も無駄と思ってきました。

そう言った意味では今でも堀江さんの考えに近いところはあるかもしれません。

ただ私は社会人としていろいろと経験していくうえでなんでも仕事になるには時間はかかるなという実感があります。

私はここ10年建築関係の職人さんたちと仕事をする機会がありました。

私もその位置役を担うものとして自分を職人というのはなれませんがそれに類するものだと思っています。

ですから職人の立場も踏まえて10年はかかるという根拠を申し上げていきたいと思います。

理由は二つあります。

一つは実質的な技術の問題です。

もう一つは信頼関係の問題です。

10年前の自分を振り返ってみよう

例えばどんな仕事でもいいですが10年同じ仕事をしたことがあるでしょうか?

したことがある人は10年前と10年後の自分を比べてみて成長ぶりはいかがでしょうか。

恐らくかなりの差があると思われます。

確かに仕事の流れ自体は1年もあれば大体はわかるようになってきます。

仕事というのは季節によって対応が変わってきます。

仕入れにしても、客層にしても、作業内容にしても、温度や湿度、天候、繁忙期、閑散期、決済月に向けての計画などです。

それは1年目で初めて経験し、2年目でこの季節性の流動性を再確認し、3年目くらいに自発的に対応できるようになります。

マニュアルで教えられたとしても自分で経験しなければ主導的に動くことはできません。

主導的に動けないうちは一人前とは言えないということです。

そして季節にかかわらず仕事にトラブルはつきものです。

予期せぬ事態が起こったとき、上司に以前と同じことが起こったときどう対応したかアドバイスを求めるときもありますし、ベテランでも経験したことのない事態が勃発し協力し合って切り抜けるときもあります。

こうして人が仕事を一人前にこなせるようになる対応力を習得するためにはどの仕事でも大体10年は要すると思われます。

また、「仕事をする」ことと「仕事ができる」ことは似て非なるものです。

先ほど私自身はどの職種でも好成績だったと述べましたが、それはそこまで高度な技術も深い知識もいらない仕事だったからです。

寿司職人の場合、ご飯を炊く、シャリを握るのは1週間でできるようになるかもしれません。

しかしそれが見た目も味も納得できるほどのものかとうとやはり難しいでしょう。

寿司職人の修行期間 “飯炊き3年握り8年”は時代遅れ? ホリエモンの斬新な考えとは 求人@飲食店.COM (inshokuten.com)

上記の寿司職人を応援する救援情報によると、一流を目指すなら飯炊き3年握り8年が一番確かな道だそうです。

ただ、堀江さんのセンスの方が大事という考えは依然と否定されていません。

ここまでで主張されたのは年期がそこそこ必要だということだけです。

次に信頼関係に基づく年期の重要性に話を映したいと思います。

技術を教えない権利

寿司を握らせるというのはある程度その人のことを店の一員として信用している必要があります。

まずは、お客さんから納得されるというのが一番に来るかもしれません。

常連客に悪い物は出せませんから、ちゃんと握れる人にやってもらわなければならないからです。

また、職人の世界では技術こそが貴重な情報資源です。

会社で言う、長い年月をかけて蓄積した顧客情報や財務記録、自社開発のアプリケーションと同じような価値があります。

例えば堀江さんは入社1か月の人に社内情報を全て教えるでしょうか。

その人と本当に親しい間柄であればなくもないかもしれません。

でもその人が企画も営業も卓越したセンスを持っていても、ある程度会社に貢献し信頼関係を築いていなければ会社の貴重な情報を教えることはしません。

なぜなら、その情報を持ち逃げされる恐れがあるからです。

魔がさす場合もありますし産業スパイもいます。

職人の技術というのは前述したように一朝一夕に身につくものではありません。

でも中にはセンスのある人がいて一回手ほどきされただけで習得してしまう人もいるでしょう。

だとしたらなおさら簡単に教えるわけにはいかないのではないでしょうか。

また職人というのは実戦での学びが多い職業です。

他の職業も現場で学ぶことは多いかもしれませんが、職人は材料を加工することがもっぱらでシミュレーションできる範囲は限られます。

例えば大工は練習で家を建てることはできません。

釘の打ち方くらいは練習できるでしょうが、それでも多くが現場で習得していくはずです。

寿司屋はどうでしょうか、炊飯にしても、握りにしても高価な食材を使います。

高価でなくても廃棄を前提にして食材を練習に使っていいかどうか倫理が問われます。

練習で何度もできるものではありません。

やはり現場で場数を踏むことは必要かと思われます。

堀江さんの言い分は理解できるが職人はバカではない

以上が職人にはセンスだけでなく年月も必要である理由です。

ただ私も職人の世界がこのままでいいと思っているわけではありません。

見習いでも生活できるような社会であったらそれもいいと思います。

例え板前に立たせてもらえるのが10年後であったとしても、その間住み込みで養いがあるのなら、それが老いも若きも生活が保障されるスムーズなシステムであったと言えます。

ただ、もし皿洗いのために働かせるだけ働かせて将来も今現在の生活も保障しないような世の中であれば、そこに賭ける年数は無駄であり、成り上がった方がその人のためです。

しかしそれは本来の意味の職人のイメージからはもう離れてしまっているともいえます。

働いている所だけが職人ではなかったからです。

世情は日々変わっていきます。

技術の面だけで職人と扱われるのが今後の基準になっていくのかもしれません。

少し不安に思うのは職人の持っていた技術を全てマニュアル化、ロボット化し、品質を保つことができるのかということです。

これまで染色や鍛冶などすでに失われてしまった技術はたくさんあります。

そういえばこの寿司職人の技術が今後保たれていくか情報収集するのに、私にできなくて堀江さんにできることがあります。

それは高級寿司店をいくつか回って実際に板前さんにインタビューすることです。

堀江さんが言った数カ月教室に通って板前になれるほどのセンスのある人を見つけ出すのと、10年働いて職人となった人どちらが簡単に沢山見つけられるか興味があります。


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