本当に成熟した社会は完ぺきではない
最近メディアにも引っ張りだこのラッパー呂布カルマさん。
ちょっと調べてみると虫好きなんだとか。
しかもガやハエなどの普通は害虫と忌み嫌われるような虫。
私も子どものころファーブル昆虫記を読んで、ハエが動植物の生態系で重要な役割を持っており、衛生上の問題で極端に近い距離で人と共生はできないものの、決して不必要な存在ではない、寧ろなくてはならないものだという見識を持つことができました。
呂布カルマさんがハエのどの辺を好きなのかわかりませんが、ちょっと気が合いそうだなと勝手に思った部分です。
最近、大人になった私がとても共感できるCMがACジャパンから制作されていました。
「寛容ラップ」と題されるCMです。
コンビニのレジ前、年配の女性(小田原さちさん)が支払いをしようとしています。
その後ろに呂布カルマさんが並び、その後ろにも数人の客が並んで待っている状態です。
年配の女性はお金を財布から出そうとしているのですが、手が思うように動かずもたついています。
「ごめんなさいね」と言いながらも、次第に焦りでさらに手が震え小銭をつかむことができません。
年配女性の後ろで呂布カルマさんが貧乏ゆすりのように足をタップさせます。
イライラしているのかと思いきや、そのリズムに乗ってラップを始めます。
「アンタのペースでいいんだ、何も気にすんな」と。
とてもいいCMだと思いました。
私が大学生のころ研究課題にしたテーマに障害者の社会参加があり、内容としては作業所や裏方で働くことが障害者の仕事場になっている部分からもう少し領域を伸ばし、接客などの人目につくところでも働ける社会の構築を目指すというものでした。
特にサービス業では「お客様は神様です」との言葉が誤用され、過剰ともいえる品質至上主義に陥っている感があります。
日本のサービスは「マクドナルド」を代表とするファストフード店でさえ一流と海外で称されるほどのクオリティであり、そこは誇るべきところだとは思います。
しかしその反面、従業員に求められることが無制限になり、様々な事情をもっている人が働きにくい状況になっていることも確かです。
クオリティが高いことはいい。
いいけれども、もう少し、もう少しだけ広い心をもって働く側にも甘えられる部分があった方が、社会が円滑に、そして幸せに回るのではないかと思ったのです。
そのためにはお客さんとされる側が妥協する訓練、習慣を身に着けるべきだと考えます。
昨今、コンビニで外国人の店員を見かけることは珍しいことではなくなりました。
それについて拒否感を示す人は減ってきていると思いますし、もうすでに何も思わない人が大半ではないかと思います。
それは日本社会が得た”慣れ”です。
障害者は定型発達者よりも少し作業が遅いかもしれません。
待たせることもあるでしょう。
でも、そういうスピードに慣れることも、これからの社会をよりよくするために必要であると思うのです。
それこそ本当の意味で成熟した社会と言えます。
ですから障害者の方が人々とよく接する場所に出られる環境は障害を持つ人のためにも、そしてお客さんとして接する人たちのためにもなると考えます。
最初は軋轢があり、ケンカや怒号、クレームが起こると予想されますが、次第に社会が順応し当たり前になっていくのではないでしょうか。
呂布カルマさんのCMはお客さん側が、生活に困難を感じる立場でしたが、周囲の人がそれを受け入れるという点では同じです。
ただここで一点、CMを現実に当てはめた時、少し難しい問題が起こると予想されます。
優しい世界に触れ、このCMの感想は、「こんな社会になったらいい」という称賛の声であふれています。
その感覚は至極真っ当で正しいものです。
私たちが次に心構えしておかなければならないものは、CMでは年配の女性が待たせていることに「ごめんなさいね」と焦りを示しているのに対し、現実では待たせてしまうような症状を持っている人が「ごめんなさいね」とも言わないし、焦りもしない状況が大いにあるということです。
「ごめんなさいね」と言える人は、他者の気持ちをうかがう余裕のある人です。
焦りを示せる人は自分の状況を客観視できる人かもしれません。
「情けは人の為ならず」
ただそのような能力や余力が現状ない人と出会ったとしても、それでも寛容でありたいというのがCMを見た私の予想と感想です。
誰に対しても示した寛容さは回り回って自分が暮らす社会を快適にしてくれることでしょう。
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