これまで迫害を耐え抜いてきた統一教会
統一教会による被害の訴えは安倍元総理を銃撃したことにより帳消しになった
安倍元総理が銃撃され死亡してから、犯人の山上容疑者の動機が少しずつ明らかになってきました。
犯人の供述によれば、母親が熱心な統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の信者で多額の献金をしたため、山上家の経済状態が不健全となり、犯人本人の進学や就職などに多大な悪影響を及ぼしたのだそうです。
そして犯人自身の恨みは最初に統一教会に向けられ、次に統一教会を支援したと犯人が思い込んだ安倍晋三氏に向けられるようになったということです。
犯人の言葉をそのまま受け取っていいのか現段階ではまだ判断しかねますが、彼の生い立ちや過去のTwitterの投稿を見ると別の動機のカムフラージュのために統一教会をやり玉に挙げているとは考えにくいです。
ただどう考えても、その恨みが安倍氏に向けられる理由は支離滅裂だというのが私の感想です。
先ず銃の製造方法をネットで検索する労力を、政治家と宗教の関係の常識的な知識を検索するべきではなかったかと。
ただ犯人はそのような考えができないほど、追い詰められ鬱状態となり、視野が狭くなっていたということも十分考えられます。
私も宗教2世の問題を抱えている人と接触したことがありますし、何なら犯人の母親の献金の何倍もの金額を手放した人も知っています。
私の知っている宗教2世問題のほとんどは当事者の恨みは親に向けられています。
親が宗教の戒律を子どもに押し付けて、交友関係や部活動などに制限をかけたり、宗教の名のもとに強権的な姿勢、暴言暴力を行使するからです。
今回の犯人と違うところは、犯人自身は入信していないことです。
この点だけで言うと、私の知っている宗教2世問題の親たちよりも、犯人の母親は寛容に思えてしまいます。
犯人がどれだけつらい人生を送ってきたかわかりませんが、宗教により抑圧され自分の人生を思うように生きられなかった人たちの多くは、決して凶器を作ったり人を殺したりしていません。
犯人は安倍元総理を銃撃したのが、統一教会のせいだと供述しているようですが、それは犯人自身の考えであって、それらを結び付けるのは客観的に見てこじつけの域を出ません。
現段階の情報から考察すると、犯人のターゲットが統一教会のトップ、または一国のトップになった人になっていることから、犯人はプライドが高く自分はもっと大物だという誇大妄想の傾向があったのではないかと考えられます。
トップを潰せばその組織が弱体化すると動機はいくらでもこじつけられますが、一般的な思考があればそんなことは映画やゲームの世界だけであることが分かります。
ボスを倒せば世界平和が訪れる・・・しかし世の中はそんな単純ではありません。
例えば王様が殺されて滅びた国がありますか?
社長が辞職して潰れた会社がありますか?
王様が殺されたらその息子や次の将軍が国を引き連れ、社長が辞職すれば次の社長が選ばれます。
国の滅亡も会社の倒産も、トップの存在が理由ではなく、様々な要因が重なって起きることの方がはるかに多いです。
それを簡単に言うと"時代の流れ"ということになります。
そう考えると犯人が潰そうとした統一教会も銃撃事件云々は関係なくこれからも続いていくでしょう。
その組織のトップであっても、または犯人であっても、一人の人間の力は組織に対してはそれだけ小さなものなのです。
弱体化はしていくと思います。
しかしそれは今回の銃撃事件が原因ではありません。
宗教というコンテンツ自体が低迷期にあるからです。
統一教会もその一連の流れには逆らえないでしょう。
宗教というコンテンツと言いましたが、インターネットの影響などによりすべてのコンテンツが個人主義的になっています。
集団で一つのものを追うよりも、それぞれが好きなものを追う。
ですから昭和、平成初期よりも大きな団体にはなりにくい環境です。
またインターネットの発展により発信側の数も爆発的に増えています。
YouTuberの台頭からもみられるように、個人が誰でも思想の発信者になれる時代です。
あまたの発信者にそれぞれの人が集えば、必然的に一個の集団の人数は減っていきます。
また、かつて不安や不満を紛らわしていた宗教は、今や音楽などのエンタメにとって代わっています。
宗教と同等、もしくはそれ以上に心のよりどころになるものが発達、解放されているのです。
"神"的な存在である宗教的なカリスマも、芸能人やスポーツ選手、政治家や思想家、SNSなどの配信者にとって代わっています。
宗教一択だった人間の生きがいに、様々な選択肢が増えたことはいいことだと思います。
宗教を完全に捨てて、別のコンテンツに乗り換えるのではなく、宗教もちょっと、テレビもちょっと、SNSもちょっととかいつまんで生活の糧とできることでバランスがとりやすくなっているからです。
さて統一教会は社会の一連の流れ通り弱体化しますが、それでも細々と続いていくことでしょう。
麻原彰晃こと松本智津夫が死刑にされたオウム真理教でさえ名前を変えて続いています。
指導者を暗殺されたアルカイダやイスラム国と呼ばれたテロ集団も、勢力は弱まりましたが存続しています。
合同結婚式や霊感商法により世の中を混乱に陥れたとはいえ、統一教会を上記のテロ集団と同一視することはできませんが、指導者が無力化されたとしても生き延びる組織の例とし上げました。
犯人は銃撃事件により社会を混乱させました。
そうすると宗教組織は結束を強めます。
皆救いを求めて集まった人たちだからです。
指導者は恐がる彼らの味方になることでしょう。
犯人を共通の敵として信者たちを奮起させるかもしれません。
安倍元総理に同情する一般人も、犯罪を嫌う善良な市民も取り込むかもしれません。
それは低迷する一宗教を延命させる出来事になってしまったかもしれません。
宗教による被害をどのように防ぐべきか。
それは宗教を破壊しようとすることではなく、人々が過激な宗教に流れることがないように、良い宗教を育てることです。
壊すよりも育てる、これは忍耐が必要な大多数の人が苦手な方法です。
また衰退する宗教の受け皿になりつつある思想を配信する次世代のコンテンツからも過激な言動、集金システムを前もって注視し、カルトの二の舞にならないよう配慮することも大切です。
0 件のコメント:
コメントを投稿