見た目のカッコよさに甘えない現代の王子様
批判よりも強いこと
私がTwitterを始めてしばらく経ったときのことです。
私がTwitterで発信することと言えば、当時は政治や芸能界に対する批判がもっぱらでした。
だっておかしいことしているんだから指摘されて当然でしょ、と自分なりの正義が動機でした。
Twitterのトレンドに上がっていたり、ニュースで話題になっているのを見ると、「さあ今日も始めるか」と言った感じで何の疑いもなく批判の文言を書き込むのが習慣になりつつありました。
それがTwitterの使い方だとも思っていたのです。
それで共感してくれる人がいることが嬉しかったですし、自信がついたような気持になっていました。
とは言っても世間で注目されていると言えるほどバズったことはなく、数字で表される才能の価値に漠然とした焦燥感とフラストレーションがたまっていたように思います。
そんな時、母親とみていたドラマ「ドロ刑」の最終回が終わり主役を見事に演じきったSexy Zoneの中島健人さんに心底感心し、その感想を素直にTwitterに投稿しました。
#ドロ刑みてる
— Elias' Mates@歌われる日常 (@Elias_Mates) December 15, 2018
主役の中島健人さん
自分の中では最近よく見るようになったなという認識だったんですが、その後ドラマのみならず番宣、バラエティー等どの場面でも言うことが確りしてるし肝が据わっていると感心していました
アイドルはアイドルでも中身のある期待を裏切らないアイドルだと思います
すると今までにない数の「いいね」やリツイートが。
300以上。
もちろん世間でいう数千、数万というバズリ方には及びませんが、それでも私の心を一新させるには十分なインパクトでした。
これまで私の正義の中には何かしら訴えることによって世の中が少しでも良くなればといった純真な気持ちがあったのも事実です。
ただそこには批判ではなく努力と才能と人を楽しませたいという役者の力と、それを応援しようというファンの力で世の中が明るく魅力的になっていました。
こういう風にでも世の中はよくなっていく。
世の中をよくしたいという抽象的な目的ではなく、世の中にいる人を一人ずつ幸せにしていく。
そんな場所に私は入り込んだようでした。
それから私は批判的なことをTwitterに載せるのはやめました。
今、SNSによる誹謗中傷が厳罰化されました。
もしこの出来事がなければ、私は世の中をよくするどころではなかったのだと思います。
大人になってから変わるというのは難しいことです。
しかし中島健人さんとそのファンの方々は私を変えたのです。
現実世界に現れた王子様
中島健人さんの魅力、これはもう一つ大きな記事ができてしまうのでここでは端的に書かせてもらいます。
彼はクリエイティブです。
例えば番宣の文言。
何を言ったら伝わるのか、それを簡潔にまとめる力があります。
自分で体裁の整った言葉を考えることができるのです。
頭がいいという言い方もできます。
センスがいいともいえます。
また一つの確固とした美学を持っているように感じます。
カッコよさとは何か、美しいとは何か、自分の中にポリシーがあるように思います。
見た目だけではない中身の伴ったカッコよさです。
カッコいい人が意地悪だったら悲しい気持ちになります。
カッコいい人が卑怯だったらがっかりします。
カッコいい人が優しかったらそれはときめきです。
カッコいい人が誠実だったら一つの夢が叶ったようなものです。
カッコいいと言われてもそれで妥協しない姿勢。
本当のカッコよさを見せてくれる人。
中島健人さんは、こんな人がいてくれたらなという理想を実現してくれるファン想いな人のように思います。
「王子さまって本当にいるんだ」
彼はドラマでもおとぎ話でもない、現実の世界で体現してくれているのです。
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