優秀な人材は結果論
NHK党の立花孝志氏の以下の発言。
「将来、納税してくれる優秀な子どもをたくさん増やしていくことが、国力の低下を防ぐ」
「質の悪い子どもを増やしては駄目」NHK党・立花氏 [参院選2022] [NHK党]:朝日新聞デジタル (asahi.com)
ここからは二つの危険で間違った思想が垣間見えます。
一つは「優秀な子どもをたくさん増やしていく」というところです。
これを聞いて優性思想を思い出す人は多いと思います。
子どもは親のものでも国のものでもありません。
どのような人物になるかは子ども自身が決めることです。
もう一つは「納税してくれる」「国力低下を防ぐ」というところです。
まるで国民が国のためにあるような表現です。
国民が国のためにあるのではなく、国が国民のためにあるのです。
もっとも「優秀な子どもをたくさん増やしていく」というところに必要性を感じることは理解できます。
ICTを始め様々な技術を進歩させ、自治体レベル・都市レベル・国レベルでリーダーシップを発揮できるような人材が、国を豊かにしてきたように見えるからです。
また納税と国力についても、私たちは一個人だけで生きていけるわけではなく、社会の一員として助け合って生きています。
他人と手を取り合う社会がまとまって国になっているわけですから、国力を上げることによって治安や生活水準が守られるとすればそれを支える納税が義務とされているわけです。
ですが優秀な子どもを増やそうと思って何ができるでしょうか。
そもそも優秀とは何でしょうか。
例えば年収1億以上稼いでいる人を優秀として、みんながその人の真似をすれば年収1億以上になるでしょうか。
野球のイチローと同じものを食べ、同じ練習をすればみんながイチローのようになれるでしょうか。
優秀というのは非常に不確定要素のある性質です。
見方によってずいぶん変わります。
社会の価値観によっても変わります。
ゴミだと思って捨てたものが本当は美術品として高く出回っていたら、その人の見る目がなかったということですし、本当にごみとして捨てられていたものを商品にしたものもあります。
優秀な人が出世するのではなく、出世した人が優秀と認識されているだけかもしれません。
例えば野球界で一選手をヒーローたらしめる莫大なスポンサーとの契約金は、弱小と言われるどこかの部活動で、下手だ下手だと言われてイジメられている一野球少年の買ったグローブの購入資金が混ざっていることもお忘れなく。
またノーベル賞を取って大学に不変の名誉をもたらした一教授の研究資金は、志もなく自分探しすらままならない一学生が支払った学費から賄われているかもしれません。
確かに優秀な人はいますし必要です。
しかし優秀な人は一人で優秀なわけではなく、それを意識の有無、能力の有無にかかわらず多くのかかわって生まれるということをおもんばかることも必要です。
そしてもし優秀な人材が国力を高めたとしてその恩恵を誰が受けるのでしょうか。
優秀な子どもを増やしていくというのはいたって他力本願な考え方です。
優秀な人がいれば自分は安全だろうと言っているようなものだからです。
そして自分は優秀なのかと自問自答しなければなりません。
それを誰が判断しますか?
他人ですか?
ですから「優秀な人材を増やして国力を上げる」ととれる発言は甚だ不適切で、素直に「どんな環境に生まれても自分の才能を育めるように支援し、一人一人が国益の恩恵を受けられるような国にする」と言えばよかったのです。
それが国力というもではないでしょうか。
ちなみにですが、優性思想ととられる発言をする国は国際社会からの信用い、国力の損失につながるとは思いませんか?
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