キネマの神様レビュー|二回観ると俳優・志村けんに逢える

2022年6月6日月曜日

映画レビュー

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キネマの神様を観た感想(内容について触れています)

先日、自宅にてキネマの神様をレンタルし視聴しました。

古き良き日本に生きた若者たちの青春と2020年新型コロナウイルスに震撼する日本を行き交いながら物語は進みます。

主人公演じる沢田研二さんはあえてあとに残しておくとして印象に残ったことを思いつくままに上げてみますと、北川景子さん演じる女優が本当に昔の女優さんみたいで感心しました。

目鼻立ちがくっきりして姿勢よく、上品かつ強気な物言い。

庶民とは一線を画す雰囲気を持ちながら、とても人情深い。

間違いなくこの映画を引き締めるスパイスになっていると思います。


主人公のよき理解者であるテラシンは野田洋次郎さんが演じていました。

最初わからなかったのですが、「え、RADWIMPSの人だよな」と。

朝ドラ「エール」では作曲家の役をされていましたね。

俳優としても活動しているんだと始めて認識しました。

役どころは真面目で知的で純情な青年。

物静かですが内に誠実さと情熱を秘めていて、ここぞという時には感情をあらわにして激する。

主人公円山を支える友としてその気持ちの抑揚を上手く演じられていたと思います。

志村けんさんの代役となった沢田研二さん

円山郷直演じる沢田研二さんは、志村けんさんの代役ということで抜擢されたということなので、何かと志村けんさんと比べて見てしまいました。

沢田研二さんの風格はギャンブル・アルコール依存症のどうしようもない不健康そうな老人とはちょっと離れている印象がありました。

どことなく品がある感じがぬぐえないというか。

それでも映画に入り込むとその違和感も消えてしまうほど自然な演技をされます。

所々、志村けんさんを意識しているのかなとこちらの先入観で見える所もあります。

でも、ものまねのようにあからさまに寄せていないところに志村けんさんをイメージする余白を残してくれています。

老人になった円山がお金をせびったり、褒められておちゃらけたりするのですが、志村さんだったらこう演じるだろうなとイメージさせてくれるのです。

沢田研二さんは沢田研二さん、志村けんさんは志村けんさん。

そこははっきり分かれていても沢田研二さんは志村けんさんだったらこう演じるだろうというイメージの呼び水を置いて行ってくれています。

一回目の視聴ではストーリーの把握と沢田研二さんの演技に引き込まれていきますが、二回目観てみると私の知っている志村けんさんの笑いを呼ぶときの高い声、真剣な時の低い声、流し目だったり、屈託のない笑顔だったりが頭の中に浮かんできます。

キネマの神様は志村けんさんが俳優だったらどんな演技をしただろうという私たちの心残りを少し和らげてくれる作品だと思います。


ストーリーとして面白いところは、若者の世間知らずだからこそ大きな夢を描ける青春をよく表しているところです。

今大人しくしているご老人にもかつては大きな夢を抱いて挑戦していた日々があっただろうなと考えさせられます。

そして夢を仲間たちと語っている時は、まるで自分がその道の先駆者のように感じるのですが、そこに若者特有の経験不足と視野の狭さがある。

今存在していることはなるべくしてなったという現実を、挑戦と挫折の後に理解するようになる。

円山のアイデアは画期的のように思われましたが、みんながそれをやらないのはおもいつかないからではなく、客観的に見ておかしいから、意味がないから、世間に受け入れられないからだったのかもしれません。

ここは若者と年配の人の仕事の姿勢やスレ違いをリアルに物語っているところです。


しかし時は流れ、沢山の変化を経験した世の中には、かつての丸山のアイデアを受け入れる余地が生まれ、かっこよくさえ見えるようになりました。

孫の協力により昔のアイデアを書き直し世に出すとそれが称賛されます。

半世紀を経て認められたサクセスストーリーに胸は熱くなります。

何歳になっても人生は楽しいものだと。

最高に盛り上がるところです。

実際のところ、私はここで映画が終わってもよかったと思っています。

蛇足的な部分

決して悪い意味ではないんですが、表彰されるときには入院してしまってちょっとカタルシスに欠けます。

その後、映画館に行って映画を見ながら息を引き取るところがありますが、エンディングの後のアフターストーリーみたいな感覚で少し間延びした感じになります。

エンディングが二つあるみたいな。

若い時に挫折した夢を老人になってから果たし、そこで終幕だったらシンプル過ぎではありますがアメリカによくあるハッピーエンド的な映画になったかなと。

そこにあえてアルコール依存症だったり病気が出てくるところでリアルに引き戻されます。

なんでもうまくいくわけではないよな、と。

最後の部分をつけることによって単なるサクセスストーリーからヒューマンドラマになった気がします。


あともう一つ野田洋次郎さんがアコースティックギターを弾くところがあります。

それはなくてもいいんじゃないかなとも思いました。

彼はミュージシャンですからとっても上手なんですが、話がとっ散らかってしまう気がしました。

もちろんあの時代はフォークソングが流行りましたから多くの若者がギターに手を出したとしてもおかしくはないです。

原作を読んでいないのでテラシンのキャラはわかりませんが、映画内でギターが出てきたシーンは少し唐突だったかと。

演技は申し分ないのでそこで俳優として勝負すれば、変に世界観を壊さなくてもいいのかと思った次第です。

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