コロナ禍で清算される人間関係|会いたいと思われる人になる

2022年6月5日日曜日

t f B! P L

コロナウイルスに詭弁は通じない

ある意味、詭弁の通じない世の中に

新型コロナウイルスの蔓延は日本社会の価値観にも少なからず影響を与えています。

その中でよくクローズアップされるのは人間関係です。

今まで親しく会っていた人とコロナを理由にパッタリ合わなくなったとか。

また学校や職場への考え方も変わってきているようです。

オンライン授業が開始されてた直後は、登校できない不満がよく聞かれましたが、今は対面授業を避けたいと。

オンライン慣れ「対面授業怖い」、不調の訴え増加…[コロナ警告]ゆらぐ対人関係 : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

もちろんオンライン授業に不満を抱いていた人と避けたい人が同一人物ではないので単にどこに焦点を当ててニュースにしたかの違いではあるのですが、コロナ前には想像できなかった問題が起こっているのは事実のようです。

対面授業を嫌煙する人に対するネットの反応はそのような人のメンタル面の調整を考える声が多数です。

記事でも現代の若者は人間関係をコスパで考えるようになったとあります。

例えば学校に行くのは単位をもらえるから、仕事に行くのは給料がもらえるから、友達と会うのは共感し合えるからと自分への利益がはっきりしており、これまでの人付き合いで何かをするといった部分が薄れてきたということです。

それに伴って、このように他人との距離が遠くなったのはコロナでの規制を厳しくし過ぎたせいだといった論調まで観られます。

確かにそういった側面はあるかもしれませんが、私はコロナで必要なもの不必要なものがはっきりしたのであれば、単純にコロナを悪者にして、コロナ禍前の状態に戻すのではなく、コロナを教訓として見直すべきところは見直した方がいいと思っています。

学校であれば、勉強したいと思われる場所になる。

仕事であれば、仕事をしたいと思われる場所になる。

他人であれば、会いたいと思われる人になる。

といった見直しです。

大学はこれまでの、「学生は自立するべきだから大学からは詳しく説明しない、わからなかったら自分から聞け」という放任体制よりも、大学側が生徒の生活状況や経済状況に配慮し細かく説明するなど、対応に手厚い体制の方がコロナ禍では評価されたとの報道もあります。

自立することは大切ですが、大学が自分から聞けいった体制をしていたのは単に手間を割きたくなかったことの言い訳の部分もあったようにも思います。

もし学生の自立を促すのであれば、大学も一般社会の方式に倣い、学生が社会でどのような対応をすべきか規範を示す必要があるからです。

そう言った大人の悪い部分が通じなくなってきたと。

これはコロナウイルスに詭弁が通じないのと一緒です。

もし世の中の理不尽な部分が少しでも解消されれば、私たちがウイルスの根絶を目指す有様を象徴するかのように生活様式が改善される道筋にもなりそうです。

このブログを検索

Blog Archive

人気の投稿

QooQ