橋下徹氏の言動、報道番組に通販番組並の表現規制はできないものか

2022年3月19日土曜日

社会

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発言に責任ある通販番組から

表現の自由と影響力に対する責任

戦争とはセンシティブな話題です。

人命がかかっていますし、多くの人の自由や尊厳を踏みにじる状態です。

連日、ウクライナのゼレンスキー大統領がロシアに対する抗戦の意を表明し、各国へ支援を求めている姿は、ある人には戦争を扇動しているように見えるのかもしれません。

ただ私見としては、軍隊とは自衛のためにあるもので、平時では抑止力のため、戦争が始まったら当然それは本来の目的のために行使されるものであると思っています。

軍隊がありながらそれをもともと配備した目的のために使わないことは、武力を全く持たなかった状態よりも戦況を悪化させる恐れがあると思われるからです。

軍がただのお飾りだと思われたら、敵側の侵略はさらに勢いを増すことになります。

撤退や敗走にはそういった危険が伴うのです。

戦略としてわざと逃げる姿を見せて敵軍をおびき寄せ奇襲をかける手法もあるくらいなのですから。


そう言った意味でゼレンスキー大統領が日々、国民を鼓舞し、各国に支援を求めるのは当然と言えます。

そして人命がかかわっているからこそ、ネガティブな勢力からの批判は彼のメンタルを人一倍傷つけていることでしょう。

ゼレンスキー大統領のある意味振り切った姿勢は、そういったネガティブな勢力に負けないための政治的アピールの一面もあると思っています。

そんな中、日本でもやはりゼレンスキー大統領の意向に異を唱える意見は少なからず見られ、特にメディアの影響力を使ったコメンテーターについて批判する記事が出ました。

ウクライナ「報道」でも目立つ、ワイドショーでの適当で無責任なコメントたち|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp)

ここで注視しなければならないのが、コメンテーターの発言内容、思想について批判してるのではなく発言の仕方や表現方法について批判しているということです。


橋下徹氏の発言を例に挙げています。

記事によると、自分の考えをあたかも事実のように言う口調によって視聴者を混乱させているというのです。

私は彼が出ている番組はあまり見ていないのでわかりませんがTwitterの投稿を見ると確かにそういうところはあるかもしれません。

例えば橋下氏のこの一文。

「それでもNATO・西側はウクライナとロシアの停戦協議を傍観するだけなのか!」

まるでNATOおよび西欧諸国が何もしていないと思わせるような発言です。


これまでウクライナ侵攻の経緯を追ってきた人達には、欧米がどれだけこのロシアとウクライナの情勢に気をもんできたかわかります。

経済制裁も無傷ではありません。

自国へのリスクを負いながらも課しているものです。

NATOは東欧加盟国に軍を派遣し、ロシアの侵攻がウクライナ周辺に拡大しないようけん制しています。

プーチン大統領はNATOが参加することで核の使用をちらつかせていることから、NATOとしてはこれ以上ロシアを刺激することなく最小限の武力衝突で終わらせようと慎重になっているのではないでしょうか。

ウクライナ侵攻に関しては戦場を局地化しウクライナの中だけで終わらせたいと考えているのだと思われます。

もしNATOが表立って戦争に参加することになれば、ロシアがNATO加盟国に攻撃する言い訳を与えることになります。

現代の戦争では国籍にこだわらない傭兵という形態で戦争に参加することもできます。

武器の支給及び、国籍を伏せた派兵によってウクライナを死守し、ウクライナの民間人は可能な限り国外へ退避するという流れになっていると思うのです。


橋下氏はそれ以外にも、「戦争指導が必要になる」、「精神論だけの戦争指導は危険だ」と言っています。

この一文の中だけでも意味が分からない文言がちりばめられています。

「戦争指導が必要なのかぁ」とか「精神論は危険だよな」とか、その言葉だけを見ればそうだよなぁと思えなくもないかもしれません。

当たり障りのない一般論だからです。

ですがそれがウクライナ政府やNATOに当てはまりますか?

戦争指導が必要とはどの立場から言っているのかよくわかりません。

もしそれが大統領や指揮官だったらわかります。

それが任務の一環だからです。


その上、橋下氏も「戦争指導者の脱出やその準備は絶対にダメだ。命が助かる立場だと政治的妥結の判断が狂う。日本にいる戦え一択の勇ましい者たちと同じになってしまう」とTwitterに投稿しています。

政治的妥結というのも物議を醸していますが、彼自身が命が助かる立場から「〇〇すべきだ」と言っているのに、それはどう評価すればいいのでしょうか。

橋下徹氏「戦争指導者の脱出絶対ダメ」は本当か? | アゴラ 言論プラットフォーム (agora-web.jp)


恐らく橋下氏の言葉に対する共感は、深く考えてはいけないのだと思います。

「戦争はダメ」、「話し合いで解決すべきだ」とできたらいいなぁという非常に一般的な感覚に同調する感覚なのだと思います。

それをあたかも理論っぽい文章で書いたり言ったりするから、ある人には正論に見え、ある人には支離滅裂に捉えられるのでしょう。

と話が脱線しました。

彼がどう思おうと自由なのです。

勝手です。

ですが、彼がそれをあたかも専門家のように、断定して言う口調がよくないということです。


通販番組の言葉選びの重要さについて先日、記事が出ていました。

通販で保阪尚希は厳重注意、アンミカは半年出演NG! クレームを配慮した驚きの“置き換え表現” | 週刊女性PRIME (jprime.jp)

「絶対」や「必ず」は使ってはいけない。

「腰痛」ではなく「腰の違和感」

細かい決まりが沢山あります。

それを守らないと半年も出演NGになるのかぁ・・・。

これは商品紹介とスポンサーがごく近い存在だから確立されていることだと思いますが、このような配慮をコメンテーター並びに報道番組の関係者、スポンサーが持っていてくれたらなと思った次第です。


コメンテーターが識者から妄言とも思える発言をするのは、歯切れのいい言い方をしないと採用してもらえないというのもあると思います。

皆さんもそちらの方が気持ちがスカッとするでしょう。

一般人は気持ちがよくなりさえすれば視聴しますし支持します。

逆に専門家は多角的な要素があるためあえて断言しません。

でも専門家の肩書が信用を後押ししてくれてバランスが保たれているようです。

私たちは日々様々な情報に触れますが、気を付けなければならないと改めて感じました。


Twitterでも断言する人がいます。

世の中には、本当に事実と自分の考えが区別できない人はいます。

それは障害の場合、病理的な場合も含むまれます。

そういう人は自分の想像と事実を区別できていないことに自覚がありません。

内容は一理あるなと思っても、まるで見てきたかのような口調で断言してしまっていることで逆に信用を落としている場合もあります。

橋下氏の場合の断言が病理的なものなのか、コメンテーターとしてのパフォーマンスなのかわかりません。

ただ、やはり自分の考えか根拠があるものなのかをわかりやすく分けて伝える必要はありますし、ソースがある場合はそれを提示すべきでしょう。

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