主観を伝える手法
可愛い、カッコいい、頭がいいなど
聲の形だけではありませんが、時々、主人公やヒロインがカッコいい・可愛いから物語が成り立っているという評価があります。
恐らく聲の形のヒロインである硝子には、耳が聞こえず話せないという障害があるためその論調が高まっているのかもしれません。
つまり、主人公の将也がヒロインに過去のイジメの償いを始め、障害に寄り添い、助けようと思ったのは硝子の見た目がよかったからだろというのです。
確かにアニメを見るとそれぞれ外見も性格も個性的で魅力的なキャラクターが出てきますが、とりわけヒロインの硝子は誰から見ても可愛いと評価されそうな外見です。
そりゃあ、好きになるよなぁと思います。
ただ、これはおそらく主人公の将也から見た硝子の魅力に、視聴者が感情移入できるようにするための細工であると考えることもできます。
物語で大事なのは"主人公にとって"ヒロインが魅力的かどうかです。
これは容姿に限らず性格や才能など内面的な事でもいいでしょう。
しかし第三者の私達には主人公の主観は伝わりにくいものです。
ですから物語の作者は”万人が共感しやすい外見の可愛さ”という魅力を用いて視聴者に共感を求めるのだと思います。
こういった手法がとられている証左として、アニメの中の登場人物で硝子のことを大っぴらに可愛い、美人と評価する人はいません。
アニメで定番ではありますが、もし誰が見ても可愛い場合、他の男子に声をかけられるとか、モテるとか、可愛いと言われるシーンを挿入したりしています。
そう言った意味でヒロインが可愛いからと評価できるということはこのアニメの手法に一応は入り込めている状態なのでしょう。
外見の美しさもその人の魅力です。
そして内面の魅力や、特定の人との化学反応でしか引き出せない魅力もあります。
そういった非常に主観的なステータスを視聴者に理解してもらえるのがアニメのすごいところだと思います。
映画『聲の形』公式サイト (koenokatachi-movie.com)
0 件のコメント:
コメントを投稿