ひろゆきさんの「大学は勉強できる人が行く場所」は本当か?
Xのフォロワー数240万を超えるインフルエンサー、ひろゆきさんがこんなことを投稿したそうです。
勉強出来ない子供の支援は高校までで十分です。
— ひろゆき (@hirox246) October 21, 2023
大学は、勉強が出来る人達のための場所です。
英語が読めない大学生が1人でもクラスに居ると、その人のために全員の授業のレベルを下げなくてはいけなくなります。 https://t.co/v0kNtq98Ws
ひろゆきさんのこの文言には二つの間違いがあります。
大学は勉強したい人が行く場所
大学は専門性の高い教育機関です。
当然英語が得意な人もいれば苦手な人もいます。
それが専攻と近しくない場合は一つの教養として学ぶにとどまります。
ですから、大学で英語ができない人がいることは不思議ではありません。
ひろゆきさんはたとえに英語を選んだだけかもしれませんが、「勉強できる人が行く場所」を説明するには的外れです。
そもそも大学は勉強したい人が行くという大前提があります。
大学にもレベル分けがある
また、大学には学生のレベルに合わせていくつもクラスを分けているところもたくさんあります。
つまり英語ができない人はできない人のクラスに行けばいいのです。
しかも面白いことに、大学によってはレベルの低い人ほど少人数制のクラスを提供しているところもあります。
それは大学が分からないことが分かるようになるという教育機関の義務を全うしなければならないからであり、学生は学費とともにそれらの対価を払っているからなのです。
学生を支援すべきか
ひろゆきさんの上記の投稿には現実との誤謬があり、反論の言い回しとしても不完全です。
ただ学生の支援を国民がすべきかどうかについては今後も意義ある議論を続けていくべきだと思います。
私自身は条件はあれど支援すべきとの論調を持っています。
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