ドラゴンボールの中でも指折りの名シーン
鳥山明氏自身が行き当たりばったりで描いていると言っていたにもかかわらず、そうとは思えない奥深さがドラゴンボール。
アニメ化もされ、子どもたちをくぎ付けにした名場面が沢山あります。
私が恐らく一番好きなシーンはトランクス初登場で、長らく絶望感を与え続けた強敵フリーザをいとも簡単に倒してしまうところです。
カメラアングル、カット割り、フリーザが真っ二つにされるとフリーザ視点でも画面に切れ目が入ってズレていく。
陽動のエネルギー波、後ろを取ったトランクス、気づいたときにはもう遅い一刀両断の流れも、トランクスの知略と甘さのなさを上手く表現しています。
本当にクリエイターのセンスが光る出来栄えとなっています。
しかし、凄いのは映像だけではありません。
キャラクターに命を吹き込む声優の技量にも目を奪われます。
もし映像が見れるのであればぜひ一度見てみてください。
声優の技量が輝いたワンシーン
記事のタイトルに”日本”をつけたのは、私が日本の声優が他の言語の声よりも優れていると評価したからです。
他の言語ではフリーザがトランクスの気配に気づき上を向いた後、ずっと「あー」と驚きの声を放っています。
斬られた後も「あ゛ぁ~」と唸っています。
こちらのバージョンから見ると、斬られてるのに「どこから声出してるの?」とちょっとした疑問が頭をよぎります。
しかし日本語バージョンは違います。
フリーザがトランクスの気配に気づき上を向いたとき、目の瞳が白くなりますよね。
そのあと、一切声を出さないんです。
斬られて画面が真っ二つになって、二分割された視点がゆっくりズレてと、結構長い時間ですがフリーザは一切声を出しません。
ここから読み取れる状況が2つあります。
死を突き付けられた者の挙動
どちらも似ていますがあえて分けて言わせてもらいますと、一つは見上げた時にフリーザはすでに死んだ、少なくとも死を悟ったということです。
あの見上げてトランクスが見えて、瞳が白くなった描写。
もう自分は死んだ。
何をしても意味がない。
フリーザがそう考えたというよりも、死を突き付けられて身動きも発声もできなくなったという状況です。
息を止めているのかもしれません。
死を悟ったことと大差はありませんが、フリーザは意表を突かれ、背後を取られ、剣を振り上げるトランクスを見てからもう息をしていないんじゃないかと思うのです。
人は本当に驚いたときたぶん声を出す暇も、力も、余裕もないんじゃないかと思います。
ドラゴンボールの世界であればなおさらです。
無音は時間の概念に縛られない
もう一つは時間の経過が異なるということです。
映像ではとても長い尺を取っていますが、実際は一瞬の出来事かもしれません。
そこに「あ゛ぁ~」と声が聞こえるということは現実の時間の流れ(トランクス視点)と変わらないということになります。
もし声を出さなければ、それはフリーザにとっての時の流れを演出できるのです。
声優とは声を出すだけではなく、声を止めることでも物語を面白くできる重要な役割を負っています。
外国語バージョンがこれといって劣っているとは思いませんし、カッコいいシーンであることに間違えはないのですが、声、声優の技量というのはこういうところでもアニメの質を高めるのだと感心したポイントを挙げてみました。
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