暗号資産の真価をめぐるエミンユルマズと加納裕三の戦い

2022年11月14日月曜日

社会

t f B! P L

暗号資産は本当に価値があるのか

がんじがらめの中、奔走する加納裕三氏

以前から度々、暗号資産(仮想通貨)をマジカルコインと蔑称し、それを広めようとする加納裕三氏を批判してきたエミンユルマズ氏。

ビットコインの暴落、FTX破綻で暗号資産界隈が悲鳴を上げている中、眼の光を失わずにその価値を熱弁する加納氏にユルマズ氏の以下の指摘が入りました。 

これの対立を見て思い出したのが、エミンユルマズ氏が出演したテレ東BIZ「マーケットのプロが語る 日米株にひそむリスク【日経プラス9】(2022年8月27日)」という番組。

この中でユルマズ氏は日経平均株価が2022年8月以降下落し10月辺りで底打ち、年末にかけて上昇すると予想しました。

3か月後に振り返ってみると、10月での底打ち、年末にかけての上昇、実際と驚くほど一致しています。

また下落と上昇の時期だけでなく、底打ちの26,000円付近、上昇の28,000円付近まで言い当てています。

一方、ニッセイ基礎研究所チーフ株式ストラテジストの井出真吾氏は8月以降、右往左往しながらほとんど下がらずに年明けに向かって31,000円を維持すると予想し、見当違いの結果となりました。

(以下の動画参照、時間指定あり)

このことから読み取れるのは、ユルマズ氏が自由に自分の知識を披露できるのに対し、井出氏のように金融業界で商売している人は下落についてあからさまに言及できない縛りがあるということです。

これは加納裕三氏にも恐らく当てはまることで、彼自身の思惑にかかわらず暗号資産について悪評めいたことを言及できないという縛りがあると考えられます。

バカ正直と有能な経営者。

加納氏はどちらを選ぶでしょうか。

この二つを両立するには、扱う商品に全くの欠陥がない物でなければなりません。

そして欠陥がない商品などこの世に存在しませんから、加納氏は間違いなく後者を選ぶでしょう。

そこで、暗号資産について条件のいいことしか言えない不自由さの中で、例えビットコインの価値が3分の1にまで下がっても、例え暗号資産の信用の根幹にかかわる取引所が破綻しても、なんとか都合のいい理屈をこねるか、論点をずらすか、時には誤解を招くことを承知で自分の商品を正当化しなければならない構図に陥っているということです。

人が価値があると信じれば何でも価値がある?

何とか理屈をこねて、人に価値があると信じてもらう。

これをことわざで「鷺を烏と言いくるめる」といいます。(別に詐欺とかけているわけではありません)

白いサギを見てもそれを黒いカラスと言わなければならない、またはそう思わせようとする手法を表した言葉ですが、これについてもユルマズ氏は指摘しています。

ユルマズ氏のこの問いに加納氏は返答をごまかすしことしかできません。

人々が価値があると信じれは金もデジタルも同じでしょうか。


ゴールド(金)は実際に利用価値があります。

人はゴールドでしか発せられない美しさに魅了されます。

錆びない(錆びにくい)、燃えない(燃えても溶けて残る)という不滅の価値という保証があります。

密度が高いため体積に比べ重量があり他金属と差別化できたため貨幣の最高位に君臨してきました。

電気伝導に優れているため電子回路にも使われます。


そこで人間が何かを製造する時、ゴールドが必要になります。

より良いものを作ろうと人々は競争します。

より良い物を作ろうと競争すると、必然的に"限りある資源"であるゴールドを求めて競争するようになります。

他の金属よりもゴールドが優先されるので、人々はゴールドに高値を付けるしかなくなるのです。

そこには”信じる”から価値があるのではなく、価値があると”信じさせる”ゴールド自体の主導権があるのです。(人の意思よりもゴールド自体に優位性が生じる)


一方、デジタルゴールド(暗号資産)には人が信じる以外の価値がありません。

デジタルゴールド自体に利用価値がないからです。

パソコンのワードで「¥10,000」と入力して、これが1万円の価値があるよ、または1万円の価値になるよと言っているようなものです。

コピペすれば無限増殖、メールで一斉送信でもできますが・・・。

もちろん暗号資産には発行制限はありますが、それは暗号資産自体の価値を証明する詭弁のようなものです。

おままごとです。

誰かが価値があると信じるまでデジタルゴールド自体の価値はゼロです。

”無限の資源”を資源とは言えません。

まだ絵に描いた餅の方が価値があります。

ゴールドの場合、ゴールド自体が人に価値があると信じさせるのに対し、デジタルゴールドは、デジタルゴールドを売ってお金儲けしたい人が別の人にデジタルゴールドは価値があると信じさせているのです。

それはもはや”信じる”とも呼べません。

価値があると思い込むか、思い込ませるといった方がいいでしょう。


物が人を競わせる。

人が人を競わせる。

物が人に、人が人に。

この決定的な差を理解できるでしょうか?

ユルマズ氏の論を自ら支持してしまう加納氏

さて本題ですが、加納氏はここで「IEOのEがEquityとは言っていない。(日本語)」と少々ユルマズ氏を茶化すような言い回しをするのがやっとで、内容は単なる言い訳です。

それを言うならユルマズ氏も「あなたがIEOのEをEquityと考えているとは言っていない(読解力)」ということになります。

ユルマズ氏は「それとIEOはEquityかい?」と聞いているのです。

そしてユルマズ氏の言葉の真意は、「暗号資産界隈が無価値な暗号資産に何とか箔をつけようと、価値を確立し歴史もある株と同じ名称を使おうとする印象操作」というところです。

別にEの意味を聞くことがこのツイートの目的ではありません。

そこを読み取れない加納氏がユルマズ氏に日本語がどうのと述べている姿は滑稽に映ります。

加納氏は気づいていないかもしれませんが、これではむしろユルマズ氏の印象操作という指摘を加納氏自身が率先して体現してしまっているのです。


これは前述したように、加納氏は論戦で言えばかなりつらい立場にあることが原因です。

もし、彼が暗号資産について悪口を言うならそれは廃業を意味しています。

まさに加納氏は手かせ足かせをはめたまま走らされている状態と考えれば、彼の苦悩が少しは理解できるのではないでしょうか。

彼の言い分を無理に擁護する人だけでなく批判する人も彼の立場を理解した上でもう少し優しく静観そてあげた方がいいのではないかと思います。


確かにある意味、ユルマズ氏も株を商売道具にしています。

しかし株を売っているわけではありません。

ですから株が上がるとも下がるともいえますし、暗号資産の良し悪しも自由に言えるのです。

暗号資産は一応、金融商品の一つです。

数多ある株の内、悪い株は悪いと言えるように、暗号資産を悪い株と同列に扱って悪いと言っても何らポジショントークには当たらないということを申し上げておきます。 

暗号資産の反対派賛成派の争い(フォロワー編)

暗号資産に反対派のエミンユルマズ氏と賛成派の加納裕三氏。

この二人のやり取りには彼らのフォロワーや暗号資産に賛否の意を持った人々が集まってコメントしています。

しかし不思議なのは、(当然といえば当然ですが)暗号資産賛成派からは一つも暗号資産に対する実用的な理論が出て来ないところです。

ただの一つもありません。

「適当なこと言っている」とか、「○○おじさん」など、ユルマズ氏を揶揄したり、勝った負けたなど捨て台詞を吐く人は沢山います。

しかし、本当にそんなコメントだけです。

理論的に暗号資産の利点を説明しているコメントは一つもないのです。

恐らく賛成派の人たちですら加納氏の言っていることが分かっていないという印象を受けます。

暗号資産の有用性に言及しているものの、それは株にすでにあることで株の方が優れているので利点とは言えず、将来性について言及するもいつ実現するかわからない夢物語しかありません。


疑似通貨と称した「円天」、バブル崩壊とともに消えた安愚楽牧場、クラウドファンディング(デジタル技術)を利用した令和納豆。

暗号資産的なものは日本でも昔からありました。

新しい物でも何でもありません。

その無用性は皮肉なことに全部名前にヒントがあったんです。

  • 疑似通貨の「疑」(疑わし)
  • 安愚楽の「愚」(愚かしい)
  • 令和納豆の「令」(令→レイ→零→0)

一昔前まで仮想通貨と呼ばれていた暗号資産。

通貨と同列に思われたくないという意図で名称が暗号資産に替わったそうですが、

暗号資産関係:金融庁 (fsa.go.jp)

暗号資産は英語で”crypto-asset”といいます。

cryptoは”隠れた”や”秘密の”を意味する言葉。

日本語の暗号よりも印象が悪い。

海外では日本人が思うより忌み嫌われているのかもしれません。


私としては仮想通貨と暗号資産の間を取って「仮想資産」、もうちょっとわかりやすく同じ意味の「空想資産」と呼べばいいのではと思っています。

このブログを検索

Blog Archive

人気の投稿

QooQ