母の残念そうな顔が忘れられない
母は朝ドラが好きで毎朝見ていました。
仕事の都合で朝見られない日は深夜の放送まで待ってみているほどでした。
私の記憶に残っているのは1997年に放映された「あぐり」です。
一人の女性の人生をドラマにする。
決して世間的に有名ではなかった人も朝ドラでクローズアップされることにより誰もが知る人となる。
まさに、人に歴史ありだなということを再認識させられる作りだと感心していました。
母は朝ドラで登場人物が話す方言をよく真似していました。
大阪弁、東北弁だとかいろいろ混じったりして、私は「これは朝ドラ弁だな」と勝手に思っていました。
そんな母が朝ドラを見るのをやめました。
ちむどんどんの放送が終わった人のことでした。
ちょっと疲れた感じで、残念な様子で、「もう朝ドラ見るのやめる」と言ってきました。
私が黙っていると母は続けて「何だか学芸会を見ているみたいで」ともう一言。
私も時々、時間が合う時に見ることがありましたが、一話ごとの話の筋はよくわからない感じで、次の日には話の方向性がまったく変わってしまったりしてついていけなくなってしまうこともありました。
「半分、青い」でも感じた脚本の一貫性のなさがドラマとしての質を落としているようでした。(私は半分、青いでほぼほぼ朝ドラを脱落しています)
母は不運だと思います。
朝ドラを愛してやまなかった母はが期待して見るとその回の出来があまりよくない。
母は若い頃、裁縫を学ぶために学校に行っていました。
青春は服作りで、結婚し子どもを産んでからも自分の娘に、手作りのスカートを作ってプレゼントしたりしていました。
そこで母にぴったりだと思った朝ドラが、「べっぴんさん」。
内容はあまり覚えていませんが、ナレーションで全部説明するみたいな感じだったでしょうか。
登場人物の心理描写に視聴者が感情移入したり、考察する暇がない。
そして愚痴をえんえんと聞いているような暗さがある。
せっかく服作りがテーマなのに母を不憫に思いました。
沖縄が舞台となった「ちむどんどん」。
私の弟、母の息子が沖縄の大学に行ったので、離れて暮らす息子に寂しさを感じつつも、共通の話題ができてよかったなと思っていました。
しかし、弟が言うには「ちむどんどんは時代考証がなっていない」と。
これは大学の先生からの受け売りだと思いますが、それに目をつぶったとしてもストーリーがよくわからない。
ちなみに弟は朝ドラのことを少々見下している部分があります。
彼が初めて自分から見た朝ドラが「愛と純」でして、小学生ながらも母の影響で見ていたんですね。
そしたらこれもストーリーがよくわからず、最後主人公の夫が脳死状態で幕を閉じると・・・。
「なんだこれ?」と、弟はあきれて笑っていました。
これが彼にとって非常にインパクトがあったらしく、それ以来朝ドラを見ていません。
最初で最後の朝ドラだったのです。
ストーリーに脈略がないことに定評のある昨今の朝ドラですが、2012年放送の「純と愛」で朝ドラアンチになった弟が10年の時を経て、母の朝ドラ試聴の終わりを後押しするとは、こっちの方が何だか壮大なドラマです。
朝ドラの脚本というのはスタッフがその場のノリで決めているのだろうか。
それでも面白ければいいのですが、センスがあるとは言えないですね。
母は結構NHKで見る番組が多かったので、受信料の支払いに文句を言ったことはありません。
これからも払い続けると思います。
しかし、あまり魅力的なコンテンツがないのなら受信料反対派の主張が大きくなった時に、反対派に加勢はしないまでも、擁護することはないでしょう。
実質的に反対派の勢力が強くなることになりますよ、と。
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