FF16は宗教2世、親との確執問題に一石を投じるのか

2023年6月13日火曜日

ゲームレビュー

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FF16の登場人物に見る宗教2世問題の一片

昨今、旧統一教会による児童虐待を発端に宗教2世問題が再燃しています。

その中には宗教指導者や組織的な虐待やイジメも報告されていますが、親が自分の宗教観を子どもに押し付けることにより生じる虐待が大半を占めています。

一般的にはスピリチュアルアビューズと呼ばれていますが、わかりやすいようにここでは宗教虐待と呼ぶことにします。

さて、先日FF16の体験版が公開され、多くの配信者たちが視聴者とその感動を共有しました。

私が最初に視聴した配信者はおついちさんです。

私はしばらくFFから離れていましたが、あまりの完成度の高さに様々な配信者と視聴者たちのリアクションを見に行きました。

ここで感じたのが、FF16の登場人物たちが何かしらのしがらみの中にいることです。

キャッチフレーズも「これはークリスタルの加護を断ち切るための物語」です。

加護を断ち切るとは何とも不思議な言い回しです。

普通、加護はありがたいものであり手放したいとは思いません。

それを断ち切る。

二度と頼らないと覚悟している。

どのような意味なのか本編をプレイしないことには真意を理解することはできません。


しかし、私はこの短いストーリーの一片から冒頭の宗教虐待とそれに苦しむ人たちのことを思い出しました。

主人公のクレイヴはナイトとして、ドミナントである弟を守るという自分の使命に忠実であろうとします。

それはナイトとしてなのか兄としてなのか、ドミナントのためなのか弟のためなのか、本当に弟の命が危うくなったときにその矛盾を突き付けられることになります。

また弟のジョシュアは父親に「この国はドミナントが大公家にのみ生まれる。一体なぜなのでしょう」と質問します。

これに父親は

  • 人はクリスタルの加護なしには生きられない
  • ドミナントはクリスタルの加護を民に広めることができる
  • (大公家は民を治め守るのが務め)
  • だから民を守る大公家の血がドミナントとして選ばれる

というもっともらしい理屈を並べます。

文学的な理論としては完璧です。

しかし科学的にみれば遺伝子由来で発現することはあっても、貴族の血だからと言って選ばれるということはありません。

もちろん魔法や召喚獣が生きるファンタジーの世界ですから血が選ばれる作用が存在してもおかしくはない。。

ただ、そのあと、父親が「精一杯励むがよい」と精神論でやや強引に質疑を終わらせようとしているところに何か大人の事情がありそうなのです。

「選ばれるのだろうよ」と何か歯切れの悪い言い方も気になります。

このジョシュアと父親の会話は、神や宗教に対して、信仰心やしきたりに囚われない子どもの純粋な(ある意味科学的な)質問の鋭さとそれに何とかつじつまを合わせようと苦心して受け答えをする大人に通ずる部分があるのです。


さらにクレイヴ、ジョシュアの母親はもっとあからさまです。

子どもたちが死んだという場面で、母親は顔色一つ変えず「新皇猊下のおつくりになる新たな世界にすべてを託すだけです」と言い切ります。

この新皇猊下が、この世界での新興宗教的なものなのか、もしくは異国の宗教なのかはわかりません。

宗教は死別を慰め、再開の希望を与えるものです。

しかし時に宗教は人の命を軽く見るような精神状態を作ることもあります。

自分の神を愛するあまり、人の命だけでなく、人の言葉や意見、人の価値を軽んじ突き進む狂信者とさせることもあるのです。

もちろんこれはミスリードであって、せめて最後は母親は何か事情があってこのような冷たい態度をとるようになっていて、本当はクレイヴのことも愛していた、という展開であることを望みます。


FF16の主人公クレイヴとその弟ジョシュアは自分の存在意義について悩んでいますが、宗教2世の子どもたちにも同じ悩みがあります。

自分を本当に子どもとして愛してくれているのか、それともただ宗教がそう教えているから育てているだけなのか、自分たちは道具なのか、と。


殴ったり、暴言で脅したりするわかりやすい虐待だけでなく、このような精神的な欠如をもたらすのも宗教虐待の問題点と言えるでしょう。

もちろん、宗教だけでなくそれはひとえに親との確執と言い表すこともできるかもしれません。

子どもを有名なスポーツ選手にしたい親、子どもを有名大学に通わせて自慢したい親、自分が叶えられなかった夢を子どもに託す(押し付ける)親。

「子どもの将来のため」と口では言いますが、それは悪者にならないように自分に言い聞かせているだけということはないでしょうか。

FF16は「その正義は、何を救うのか」と一重に答えられないテーマも投げかけてきます。


FF16の開発が始まったのは現在の宗教2世の問題が再燃するよりも前のことです。

ですからこのような大きなテーマを世の中のトレンドに合わせてねじ込んでくるのは少し難しいとは思います。

それでもFF16が昨今の宗教2世、親との確執の問題に一石を投じる存在になる片鱗を垣間見ました。

それだけ恒久的な問題と言ってもいいのかもしれません。


FFシリーズはこれまで宗教の問題を取り上げたことが何度かあります。

FFタクティクスやFF10です。

表向きは人々の救いであり、清さの象徴であった宗教が、実は人間の闘争心と欲の塊で、人々の幸福を搾取する存在だったとか。

私は宗教自体を悪いとは思いませんが、それでもそれを客観視できるように助ける知識の提供は必要だと考えています。


なお一つ言わせてもらいますと、宗教2世の話題を再燃させた一つの要因である安倍首相の襲撃事件の犯人を擁護したりヒーロー視することはしません。

このことについては別の機会に書くつもりですが、私は犯人の動機は宗教への報復ではなく、彼個人の承認欲求を満たすことだと考えています。

もちろんそこに宗教問題が多少入っていたとしても、彼は世間一般に言う宗教2世とは生い立ちが異なります。

彼が犯行に至った原因は、高校までの優等生と大学進学失敗のギャップからくる虚勢であり、職場を筆頭に世の中で感じた不満を正当化するためにむしろ宗教を利用しているものとみています。

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