フワちゃんの炎上
2024年8月4日、フワちゃんが炎上しました。
お笑い芸人のやす子氏がXで
やす子オリンピック
生きているだけで偉いので皆
優勝でーす😊😊😊😊👏👏👏👏✨✨✨
と投稿したところフワちゃんが、
おまえは偉くないので、
死んでくださーい😅😅😅😅😅
予選敗退でーす👏👏
と返信したのです。
世間の反応
やはり「死」というワードは人の命にかかわるデリケートなもので、それを促す発言や軽く見る発言は批判の的となります。
それは当然でしょう。
ただ、この炎上騒ぎでフワちゃんはラジオのレギュラー番組を降板、活動自体を全面的に休止することになりました。
この自粛と社会的制裁にはやりすぎではないかとの声も上がっており、一部フワちゃんのファン界隈(もしくはアンチやす子界隈)では、
「やす子がフワちゃんの発言を笑いに変えていればここまでひどいことにはならなかった。芸人として失格」
とやす子氏の行動を批判しているのです。
やす子の対応
やす子氏は実際フワちゃんの返信に対して「悲しい」と反応しており、これを界隈では被害者ムーブ、そしてフワちゃんの炎上を決定づけた、少なくともフワちゃんを救わなかったと認識されているようです。
やす子がとった行動は正しかったのか
さて、ここでやす子氏がフワちゃんに対してとった行動は間違っていたのか考えてみたいと思います。
笑いに変えていたらフワちゃんを救えた?
もしやす子氏がフワちゃんの返信を笑いに変えたとしたら実際にフワちゃんを救えたのでしょうか。
私はそうは思いません。
例えやす子氏が何か面白い返しをしたとしても、「死」について軽々しい発言をしたことは世間と業界、そしてスポンサーが許すことがないからです。
多少の不適切発言や誹謗中傷が許されても人の命にかかわることは別です。
日本国内だけで見てもフワちゃんがどんなに人気があるといっても、フワちゃんのファンでない人の方が多いですし、ファンであってもあの返信を受容しない冷静な人たちもいます。
そういった観点から見れば業界・スポンサーから切られる対象になっていたのは間違いありません。
やす子氏がもしユーモラスに応えていたら、やす子氏まで”死を軽く扱った”と捉えられていたかもしれません。
そうなるとやす子氏も降板など何らかのダメージを被り、今度はその件に関してもフワちゃんのせいだとやす子氏擁護界隈から批判を受け、フワちゃんへの批判は倍増したことでしょう。
やす子氏がユーモアに変えることは効果がないか、現状よりさらに事態を悪化させた恐れがあります。
芸のセンスではなく流れ的に笑いに変えられなかった
やす子氏がフワちゃんの返信をユーモアに変えられなかったのはそれを思いつかなかったわけでもなく、芸人としての力量がなかったわけでもなく、そうできなかった理由があるように思います。
事の経緯を見ればわかります。
それはまずやす子氏がなぜ冒頭の”やす子オリンピック投稿”をしたのかということです。
彼女のキャラクターは元自衛官の他、たとえテレビ業界にパワハラ気質、虚構気質の面があったとしてもその慣例に流されず、正直と誠実を貫くというものです。
(彼女は週刊文春により自衛隊時代の後輩からパワハラを告発されたようですが、テレビで見る限りは上記のような印象で、それがかえって物珍しく面白いと評されています)
Xで発信した”やす子オリンピック”はそんな彼女のキャラクターを活かした心温まる投稿を狙ったものでした。
誰を対象としたものだったのか。
それは
- 自分に自信がない人
- 自分に価値のないと感じている人
- 競争社会に疲れている人
です。
そのような慰めを必要としている人に対する投稿に対して、真逆の反応をしたフワちゃんの返信を擁護してしまっては、なおさら対象者を傷つけることになる。
裏切ることになる。
裏切りは単なる攻撃よりも人を傷つけます。
ですから、やす子氏は「自業自得のフワちゃん」と「ただ自分の投稿に慰められた多数の一般人」を天秤にかけて、フワちゃんを選ぶことはできなかったのです。
芸人だからこそ笑いに変えないものを自らが選択する
もう一つ、やす子氏がユーモアで返さなかった理由があるように思われます。
それはユーモアで返すことがパワハラや誹謗中傷を隠蔽、助長する常套手段になっていることです。
イジメの問題でも、当事者らは「これは遊んでいるだけ」でごまかそうとします。
もしやす子氏がこのような慣例に倣わないというキャラクターであるならば、ユーモアでごまかすようなことは絶対にしないはずです。
他人を貶めるような笑いにも賛同しないでしょう。
それは彼女自身のアイデンティティーを否定することであり、彼女の芸風を捨てることでもあるのです。
”芸人”とは単に人を笑わせるプロではなく、広義で言えば人を感動させるプロです。
感動の中に、笑わせることが含まれているのです。
このやす子氏の毅然とした態度。
自らのキャラクターを守る姿勢に勇気づけられた人もいるでしょう。
ともすれば、やす子氏がフワちゃんの返信を笑いにしなかったのはむしろ、やす子氏の芸そのものであり、芸人としてのプライド・技量であったともいえるのです。
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