たつき諒さま、クリエイター宝くじ当選!
たつき諒氏の漫画「私が見た未来」が予言と言われるきっかけとなった2011年3月の大災害。
実際に、この件を調べると、彼女の”予言”の精度に驚愕する。
「2011月3月は大災害」とピンポイントで的中
日付は漫画の表紙に記されているわけだが、この文言がシンプルに表記されている。
しかも、他にもたくさん日付が記されているがそれは彼女が夢を見た日付であり、2011年3月だけが異様な存在感を放っている。
要するに彼女は東日本大震災が起きた年と月をピンポイントで選んだということになる。
著書は1995年という人知を超えた予知能力
災害より16年前の刊行であり、科学技術や経験論をもってしても予測できる範囲にない。
例えば、2024年8月に気象庁が発表した南海トラフ地震は最新技術を用いた公的な発表であったが、それでも7日以内を予測するものであり、しかも外れた。
気象庁は、令和の米騒動のきっかけとなるなど世間を大混乱に陥れたのだから、たつき諒氏の漫画から派生した噂をデマと凶弾する資格もないだろう。
話はそれたが、言いたいのは科学的・理論的な予測範囲がせいぜい1週間以内であるにもかかわらず、たつき諒氏の16年後の未来を的中させたという事実が、いかに人知を超えたように見えるかということだ。
それでもあり得ると言えるワケ
たつき諒氏の”予言”の第一印象は「すごい!」「ヤバい!」「まさか!」の驚愕の一言である。
こんな偶然が重なるわけない。
彼女には予知能力があるんだ、と信じたくなる気持ちもわかる。
だけれど、それでもこれが”たまたま”であることを説明できる十分な根拠があるのだ。
日付の的中確率
例えば、彼女が漫画を描く際、災害の起こる日を何にしようか選ぶところをイメージしてみよう。
199X年から20XX年から選ぶことになるとすればこの時点でかなり絞られる。
しかも2050年とか2080年はちょっと遠すぎるから選ばれる確率も少ない。
ともすれば1995~2050年のだいたい55通りということになる。
そして次に月の選定であるが、これは単純に1~12の12通り。
55通りと12通りを合わせると660通り。
確率にして0.15%とそれほど高くない。
彼女はクリエイター宝くじを当てたようなもの。
ナンバーズ4みたいに好きな数字を入れて当てたようなものだし、なんならそれよりずっと当選確率は高い。
しかも0.15%という確率は一人が挑戦した場合。
未来の災害を予測した作品はごまんとあるし、それを題材にする作者もおおい。
仮に100人いただけでも、確率は13.9%にぐっと上がる。
1000人いたら77%。
この東日本大震災の日付の的中が起こる確率を100%にするには、7,593人以上が挑戦すればいい。
今回は”たまたま”漫画家だっただけで、小説家でも放送作家でもコメンテーターでも誰でもいい。
あくまでも今想定した限定的な条件下ではある物の、あのオカルトブーム真っただ中の1990年代に誰かが当てる確率はかなり高かったと言える。
さらに、これは一人が一回だけ挑戦した場合の結果であって、もし2回挑戦したら確率はほぼ倍になる。
他の予知夢は外れている
表紙の2011年3月だけがクローズアップされているが、肝心の漫画の中で特に当たっている予知夢はない。
東日本大震災は確かに衝撃的だった。
日本の悲惨な歴史の一つである。
今世紀最大になるかもしれない。
だから、その日付が読者の印象に残るのはわかる。
だが、だからと言って当たらなかった部分を無視していいことにはならない。
自分の都合のいい部分だけを繋げてしまえば認知バイアスが歪んで、理論的で公正な評価ができなくなる。
生存バイアスの産物
認知バイアスとは、一言でいえば先入観。
- 自分に都合が悪い事実を信じようとしない(正常性バイアス)
- 現在、生存している事例(成功例)しか見ない(生存バイアス)
- 自分の信念を裏付ける情報を探し求め、それ以外を見ない(確証バイアス)
こういう未知の予知能力を賞賛したいと思うならば、なおさら先入観なく物事を見極めたいと考えないのだろうか。
あまたのクリエイターの中で、たまたま実際の大災害の日付を的中させた。
その人が、注目され、賞賛され”予言者”として生き残った。
これこそまさに生存バイアスなのである。
彼女に予知能力があるから東日本大震災の日付を当てたのではなく、東日本大震災の日付を当てたから予知能力があるとされ有名になったということだ。
この差は大きい。
災害内容は後付け
彼女が的中させたのは2011年3月という日付だけである。
彼女の作品には、東日本大震災を彷彿とさせる内容は当初存在しなかった。
東日本大震災の象徴ともいえる津波が描写されたのは、2021年に発刊された完全版での追加だ。
彼女は、「オリジナル版では津波は描かなかったが、実際には見ていた。描かなかったことで被害を防げなかった」というような趣旨を後で言っているがちょっとずるい。
予知・予言を主題とする作品に後出しはないだろうと言いたくなる。
「虚言癖か?」と逆に信用を落とす要素になりかねない。
たつき諒という人災
たつき諒氏は来る2025年7月の大災害の予知に関して、科学的な見地の元冷静に行動してほしい、これを機に災害の備えをしてほしいと世間に促している。
一見正しい。
が、やり方に問題がある。
大災害への注意喚起ならば、このような起こっていないことに対する見えない恐怖によってではなく、実際に起こった出来事の検証という形で過去の事例を題材にした作品にすればよかった。
もちろんSF等、まったく現実とかけ離れた表現方法で暗に現代社会の問題点を指摘する方法もある。
だが、具体的な日時を出して集団パニックを起こさせる手法は、注意喚起よりも風評被害としての実害の方が多くなってしまう。
実際に彼女が発端となったこの騒動によって、災害級の損害が出てしまっている。
もし彼女が過去の作品に手を加えず、かつての読者の妄想に任せていただけなら倫理的に責められることもなかっただろう。
彼女自身、たまたま当たった2011年3月の功績をもとに、自分があたかも予知能力が本当にあるかのような工作をしてさらなる求心力増進を図り、社会的影響力を強めようとした。
彼女に落ち度があるのは明らかだ。
彼女は確かに、クリエイターの中から宝くじを当てて世間の注目を集め、金銭も手にしたことだろう。
しかし宝くじを当てた人の人生がみな順風満帆で終わったのではなく、人々の妬みと人間不信から不幸に陥った例も沢山ある。
たつき諒氏のこの”予言”も、科学や心理学が発展しそれが世の常識になるにつれ、単なる「まやかし」「ペテン師」、そして「人災」との評価に変わっていくかもしれない。
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